村井裕子のインタビュー後記

はじめに
毎週日曜朝9:30から放送の『ほっかいどう元気びと』では、様々な場で活躍している人たちへのインタビューを通し、「人が前に進む力はどこから出てくるのか」「人は逆境や困難な時にどんな発想で切り抜けるのか」など、それぞれが辿ってきた道のりから、その原動力にスポットを当てています。

東日本大震災が起こってまだ日が浅い2011年の春から、この番組は始まりました。
世界が大きく変わってしまった中で、私たち皆がひとりひとり、「自分は何が出来るのだろう」と様々なことを真剣に考えるようになっている中、この番組でも、「大事なことはなんだろう」「気づかなくてはいけないことはなんだろう」という視点で、これから先の前に進むヒントを探していきたいと考えています。

人の中には、自分でもまだわかっていない新たな「力」が隠されています。それは、順風の時には案外見つけられないもの。逆風だからこそ発揮出来るものがあるはず。

そんな、人の中の「宝もの」に光をあてることで発せられる言葉の数々に、ラジオをお聴きの皆さんと共感することが出来たら幸いです。

「村井裕子のインタビュー後記」は、対談後、そんな言葉の数々から、私自身が感じた「大切なこと」を毎週綴っています。番組を聴いた後に、その言葉たちをもう一度噛みしめる、心豊かな場になりますように。

12月4日放送

 ここ数年、道内各地の小さな市町村へ出向き、朗読を届けることが少しずつ増えてきた。北海道立文学館の事業である出前講座の一環として行っている「宮沢賢治の世界」。カンテレ演奏のあらひろこさんの透んだ音色とともに、短くも濃い一生だった賢治の生き方を伝えながら今の時代にこそ必要と思う作品を読んでいる。
 地方に足を運ぶとそこからまた新たな繋がりが出来ることが面白く、最近は、道北でちょっとした現象が起きている。一ヵ所に伺うと、その場所に近隣の町々から聴きに来てくれていた人が、次は自分の住む所でと“我が町”での開催を切望してくれるのだ。去年は中川町で行い、そこに来ていた豊富町の人が今年の開催に奔走してくれ、今年は豊富町のその催しに浜頓別町から来てくれていた人達から、「来年は是非に浜頓別へ」と嬉しいお誘いが。漁業をされているという団塊世代の男性が、「こういうヒューマンなものに私達地方の者も触れたいのです」と文化的なものを求める思いを語り、その人柄がほんとうに温かく伝わってくる。直に会ってお話すると、地方では文芸や芸術に触れる機会は少ないのだと実感させられ、でも、やはり人はそういうもので感性を震わせたいのだという思いが強く伝わってくる。
 北海道の各地は、今、過疎化や少子高齢化、鉄路の廃止の話などもあって先細りのイメージが飛び交うが、実際に住む土地の人達はなんて心豊かなのだろうとその精神の置き所の深さにじんとしてくるほどだ。文化をどう地方に運ぶか・・・これからの北海道のテーマの大事なひとつではないかと思いつつ、自分が出来ることはやっていきたいと浜頓別の地図などを眺めて、新しい年度を楽しみにしている。

斎藤歩さん 12月最初の「ほっかいどう元気びと」は、まさに文化をどう道内で育て、成熟させていくかに力を注いでいる人。演劇界で役者としては勿論、脚本、演出、プロデュースなどを手掛けてきた斎藤歩さん 51歳。数々のドラマや映画での得難い脇役としての演技でご存じの方も多いと思うが、札幌出身の斎藤さんは、この春16年ぶりに東京から故郷に戻り、「公益財団法人 北海道演劇財団」の常務理事・芸術監督に就任している。ご本人の中では60歳位から北海道に帰ってきてもいいかなと将来の“野望”を抱いていたそうだが、北海道の演劇界から是非にと請われての50代での帰郷。そのような責任ある立場であれば東京での役者の仕事を廃業して戻ってこなければという覚悟もあったのだそうだが、信頼する人達のアドバイスや後押しなどもあり、軸足は札幌に置きながらも役者としての“斎藤歩”も続けていくとのこと。設立20周年を迎えた北海道演劇財団の支柱としてどんな役割を果たしていこうとしているのか、思いが次々に湧き上がるように語ってくれた。

 故郷の地での新たな立場で活動する斎藤さんの目線は、やはり、北海道のあちこち、そして、次の世代の若い人や子供達に向けられている。今後、札幌発信の芝居を作り続けることは勿論、プロの演劇人の育成や北海道の様々な地域に演劇を届けていくこと、大人向けにきちんと作った芝居を子供達にも鑑賞して貰う機会を増やしていくということ、そして、地域へ出て行って演劇に取り組む子供達のサポート活動に加え、演劇とは関係の無い一般の人達のためにコミュニケーション力や表現力を引き出すワークショップや研修にも力を入れていきたいと言い、すでに、地方の市町村や様々な組織から依頼を受けて地域作りや人づくりに役立つノウハウの提供も行っているのだそう。演劇というのは人と人との言葉や思い、感情のやりとりであり、そこから、日常の人と人とのコミュニケーションの感覚を磨ける要素が沢山ある。その演劇的手法による研修などを通して、地方の人達と話す、繋がるということひとつひとつを大事にしていきたいという思いなのだと感じられた。
 演劇のさらなる可能性は、劇場の舞台にだけあるのではなく、むしろ、そんなふうに足をくまなく運ぶことで広がっていく。地域や人が内側から変わっていくということに誰かが灯を点けることが、やはり文化の熟成には欠かせない役割なのだろう。

斎藤歩さん 斎藤さんご自身は、子供時代に学校で見せられた芝居が面白くなかったことから、演劇は退屈でちょっと恥ずかしい・・・などと思っていたそう。人はなんでこんなことをやるのだろうと否定的だったそうだが、北大に進学してから全く違う雰囲気を持つ演劇研究会の芝居に出会い、手伝ってと声を掛けられ、舞台に出ることになり・・・そこから流れのままに劇団を旗揚げしたのがこの世界でやっていくようになる始まりだったと言う。そんな経験もあって、子供達には古典であろうが大人向きであろうがきちんと作った演劇を見せ、「なんだか解らないけど、すごかった」という記憶を持って貰いたいのだそう。大人が本気でやっているものを子供達にも見て貰うことが大事じゃないかと思う、と。
 そして、今までの道のりを振り返ってみると、若い頃から誰かに押し上げられ、舞台に引っ張り出され、支えられ・・・役者になるつもりなどなかったけれどいろんな人が道を繋いでくれて今ここにいると、しみじみ語る。なるほどインタビュー中、想像以上に気さくで、温かく、まるで十年来の友人に接してくれるようにこれまでのこととこれからのことを屈託無く話す斎藤さんを前にしていると、なんだか分からないけれど、何か出来ることがあったら言ってくださいねと声を掛けたくなる。きっと、これまでも斎藤さんに出会った人達は何ともいえない魅力に惹かれて、「この人をなんとかしてあげなければ」と動かされたのだろうと頷けるのだった。
 久々の札幌で多くの人達に会う中で、「自分の周りは年下ばかりになっていた」と今さらのように気づいたと笑う斎藤さん。だからこそ今は若い人達にしつこくしつこくものを言っていきたいと話していたが、この北海道のあちこちで“演劇財団の斎藤歩”という支柱を支える人達がきっとこれから増えていくのだろう。そして、演劇人魂を持つ人達が各地で文化を支える担い手として育っていくのだろう。やはり、そうした土壌を痩せさせてはいけないと思い行動する人が地方にこそ必要と改めて感じたインタビューだった。

 収録後、「こんなに人のために働くのは初めての経験なんです」と、北海道に戻って来てからの多忙な日々を吐露する。これまでの演劇人生は自分のために学んだり、頑張ったりしてきたけれど、誰かのために頑張ることはきっと何かに繋がっていくのでしょうね、と。
 そうして、「10年は北海道のために頑張る。その後60歳からは、ここ北海道で魚釣りをしたりお芝居を観たりするのんびりした暮らしをしたいという“野望”を叶えられたらいいな」とも。・・・いやいや、その年代は、両輪のもうひとつである“役者”としても良い枯れ方が出来る円熟期。きっと誰かが次なる道を開けてくれ、のんびりなどしていられないに違いない。そこからの“俳優・斎藤歩”のお芝居も楽しみな私である。

(インタビュー後記 村井裕子)

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