ほっかいどう元気びと

日曜日 あさ9:30-9:50

2019年5月26日のゲスト

山里 稔さん
北海道の木彫り熊をコレクションする造形作家
山里稔さん

室蘭出身 74歳。
小学生の頃、土産物屋で職人が彫っていた木彫り熊に魅了される。北海道美術学校で西洋画を専攻し、卒業後は東京の制作プロダクションなどを経て、1966年に札幌へ戻り造形作家として活動。
15年ほど前にリサイクルショップで木彫りの熊を手に入れ、後に父親の形見として3体の木彫り熊を引き継いだことから本格的に収集をスタート。
2014年、自身のコレクションを紹介した「北海道 木彫り熊の考察」を出版した。

radikoのタイムフリーを使用すると、放送終了から1週間ほど番組を聴くことができます。

村井裕子のインタビュー後記

山里稔さん 今回の『ほっかいどう元気びと』は、札幌の造形作家で木彫りの熊のコレクターでもある山里 稔さん 74歳。かつて北海道土産の定番だった“木彫り熊”に文化や芸術としての一面を見出し、価値あるものとして後世に伝えなければと2014年には『北海道 木彫り熊の考察』(かりん舎)を出版。それらを実際に見てもらうために展示会も続けているという。
 本の頁を開いてみると、それはまさに“木彫り熊達の写真集”。徳川家の流れを汲む八雲発祥のものや、旭川が発祥と言われるアイヌ民族の技によるもの、作者の解っているものから不詳のもの、それぞれに様々な表情があり、木彫り熊ってこんなにフォトジェニックだったのかと思わず見入ってしまう。一片の木から生まれた立体が様々な角度から丁寧に撮られ、その主役達からは一彫り一彫りの緻密さや巧みさが伝わり、一堂に介していることでその造形の違いは作り手それぞれの個性なのだと伝わってくる。芸術について、故岡本太郎氏は、「『なんだ、これは』というものが本物なんだ」と表現したらしいが、丸太から一刀で彫り出される熊もまさしく、「なんだ、これは」だ。そんな大小600体が山里さんのアトリエとトランクルームに集められているのだそうで、風合いを増すために時々撫でているという。木彫り熊への優しい視線の奥にどんな思いがあるのか、お話を伺った。

 収録前の軽い打ち合わせ。話をするのは得意ではないですが・・・とはにかみながらも、その600体への愛着が溢れるように言葉になり、同時に、“集める意味”をきちんと伝えたいという熱い思いが伝わってくる。話の途中、「こういうコレクションをしているとキー局のバラエティ番組からいくつか出演依頼もあってね・・・」と、問わず語りで山里さんが切り出す。「だけどね、断っているの。扱われ方によって違う方向に流れるのが嫌だから」とのこと。わかるなぁと、共感。では、この番組にはなぜ出ようと思ってくださったのか?・・・率直に問いかけると、山里さん、少し居ずまいを正してこんな風に答えてくれる。
 「出演依頼をされた時にそんなことも話したら、この番組の司会者は非常にそういうことにはシビアで、きちっとしていますから・・・と言われて、それなら木彫り熊をちゃんと普及することにもなると思って出ることにしたの」。
 リサーチと出演のオファーを担当しているスタッフがこの番組の意図を真摯に伝え、そして、その思いをやはり真摯に受け止めてくださったというその双方の思いに触れ、こちらも居ずまいを正す思いになる。番組の心臓部分を意気に感じて、それなら出てみようと思ってくださったことに感激。そして、共に番組を作っているスタッフ達と大切なことを共有出来ていることに改めて感謝。そして、“その人が何をしているのかではなく、どんな思いで取り組んでいるのか”・・・そこをぶれさせない番組作りを重ねて来られたことに、深い感謝とささやかな自負を感じつつ、収録をスタートさせた。

山里稔さん 造形作家である山里さんの木彫り熊への見方は、“研究材料としてのひとつの素材”。好きなものを収集する“コレクター”ではあるが、「私の場合は、北海道で作られた木彫り熊全体を知りたいということがあった」と言う。集め始めた当初は、“お土産熊”という範疇で、形やバランス、素材、彫りのテクニックを見ることが中心だったそうだが、「どんどん入っていくと、彫った人の土地柄や素材を選ぶ理由などへの興味が湧いてきて、違った方向に進んできましたね」とにこやかに語る。どんどん“入っていく”と、作家の初期と後期の違い、時代背景なども分かってとても面白くなっていったのだそうだ。そして、作られた背景が芸術品ではなく、“お土産熊”という意味合い。売れなければ意味がない、売れ筋をとにかく作らなければと作り手が生活をかけて彫っていたからこそ、「結果的に凄い彫りになっていった」と、収集を続けることで見えてきたその“凄さ”を教えてくれる。
 お土産として人気を集めた木彫り熊だが、その技のレベルは実は世界と比べても高く、歴史を遡っていけば縄文時代にもそのルーツを見ることが出来ると山里さん。北海道の文化であり、芸術であるということを次の時代に繋げていくためにも資料としての収集が欠かせないのだという思いが説得力を伴って伝わってきた。
 願わくば、公的な博物館や資料館でこれらを残していって欲しいとのことだが、学術的な裏付けが出来ていない現状ではまだまだ難しいとのこと。自分もそろそろ75歳だから、意識を高く持った若い人にちゃんと引き継ぎたい、そのために何をしていけばいいのかも考えていますと、とても真面目に、そして楽しそうに今後の構想も語ってくれた。

 北海道のお土産熊を“芸術として見る”という新たな視点を提供してくれた山里さん、ご自身の造形作家としてのテーマはどういうものですか? と収録後に訊いてみると、ライフワークで取り組んで来た現代アートに込める思いをこちらもユニークに語ってくれる。それらの造形には山里さん独自の「宇宙論」を込めてきたのだそうで、そこから「どんな生き方をしたいか」まで話が及ぶと、山里さんは一言、「僕は、死ぬ時に愚痴りたくないんだよね」と表現する。「そのために、日々ベストでありたいんです」。共感多いキャッチボールの流れでさらに、「人生観を言葉にすると?」と訊いてみると、「実(じつ)を踏まないと本当のところはわからない」という独特の言い回し。いいことも悪いことも、すべてが“実”であり、それを全部体験することに意味があるというのだ。「だから、熊の木彫りも一体一体ちゃんと集める。集めた実体から沢山のことが分かってくるんです」とのこと。それは、実体の無い“虚”を避けるために収集を行うということ。コレクションという習慣が全く無い私だが、 山里さんの“集めることの意味”がその言葉でストンと腑に落ちたのだった。
 「虚と実」と言えば、仕事においても「実業」と「虚業」という表現がなされることがある。放送の仕事を始めた頃のこと。放った瞬間に消えていく“声”や“言葉”の仕事だからこそ、“虚”ではなく“実”にするために何をすべきかを考えていかなければ自分の存在すら“虚”になってしまう・・・などと肝に銘じていたことを思い出す。「一瞬にして消えていくからこれでいい」のではなく、「消えていくものだからこそ何を込めるか」という気概を忘れてはいけないという自戒。なぜなら、“口”と“虚”が合わさると“嘘”になる。“口”は災いの元。だからこそ、忠実に、誠実に、堅実に・・・ひとつひとつの“実”に向き合い続けることしかない。
 山里さんの言うように、ひとつひとつを“踏んで”、経験を積み重ねていくことで見えてくることが確かにあるのだと、改めて思う。一瞬にして消えていく言葉、そして、同時に、こうやって書くことで“残る言葉”と向き合いながら、そんなことを噛みしめさせていただいた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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パーソナリティ

村井裕子 フリーキャスター/声と言葉の自己表現「村井塾」主宰

HBCで18年間勤務の後、フリーとして活動。現在は放送や朗読表現活動の他、札幌や帯広など道内各地で「話し方」「朗読」講座を通し、声と言葉の自己表現による人の魅力作りにも尽力する。

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