ほっかいどう元気びと

日曜日 あさ9:30?9:50

2018年7月15日のゲスト

加藤 寛志さん
ジェラテリアミルティーロ・
農業生産法人「有限会社ベリーファーム」代表取締役
加藤寛志さん

千歳市出身 39歳。
大学卒業後金融関係の会社に勤めるが、25歳の時に一念発起し、親の持っていた土地で新規就農する。
農業経験のないままブルーベリーの栽培を始め、勉強と畑作りに奮闘、2011年に観光農園をオープン。
その後、イタリアでジェラートについて学び、2013年に自身の農園でとれたブルーベリーを使った本格イタリアンジェラートの店「ジェラテリアミルティーロ」をオープンした。

radikoのタイムフリーを使用すると、放送終了から1週間ほど番組を聴くことができます。

村井裕子のインタビュー後記

 『ほっかいどう元気びと』、遡ること2011年4月の第一回目ゲストは作家の小檜山博さん。スタートに相応しい骨太なお話をしていただいたが、その小檜山さんが先日、北海道新聞紙上で「北海道は今後どうあるべきか」についてこんなことを語られていた。
 「今北海道にいる人が、精神的に自立し、ほかにはない北海道の財産に気が付き、これを生かす地元の人材を育てることです」・・・目の前にある宝ものを顧みて、北海道の財産や人材を探そうという情熱を持つことこそが第2期開拓期ともいうべきこれからに必要なことであり、この地に適応した独自の経済、生活、文化を創造することなのだ、と。(北海道新聞6月27日「水曜討論「北海道命名150年」より)
 “北海道の財産や人材を探そう”。それはまさにこの番組が大切に求めてきたこと。小檜山さんの表現に触れ改めて頷く思いになる。町を、地域を、国を支えているのは何と言っても“人”だ。人が、何を思い、何を描いて、何を始めるかによってその地域は変わっていく。だから、それらの共有と結びつきが予期せぬ“化学変化”を起こし、新たに何かを生み出す力にもなっていく。新聞紙上で小檜山さんの思いは、「北海道以上のところなど、ほかにない」という強い言葉で結ばれていた。そういう気概を持つ市井の人達に思いを話していただき、共感と志を伝播させていくことこそラジオの役目。まさにそんな、人の潜在力を発掘するための“媒体”でありたいと思う。

加藤寛志さん 今回、お話を伺った「元気びと」は、千歳市長都でブルーベリー農園とジェラートの店「ジェラテリア ミルティーロ」を営む代表取締役の加藤寛志(かんじ)さん 39歳。金融関係の会社員から一念発起、25歳の時に新規就農でブルーベリーの苗を植えるところから始めていったというその行動力の源を聞かせていただいた。
 千歳市で生まれ育った加藤さん、就農しようと思い立ったのは不動産業を営んでいた親が地元に農地を購入したことがきっかけだったそうだが、元々農業に興味はあったものの経験はゼロ。子供の頃、家で1本のブルーベリーの木を育てていて美味しかったという記憶と、ご本人曰く、“根拠のない自信”でやれると思い定め、すぐさま千本の苗を植え始めたのだという。トライアル無しで、土づくりから、全くの独りで。
 「今思うと無謀ではありましたが、全然辛さは無かった。夢が大きかったので、身体は大変でもそれは辛さではない。気持ちは清々しく、充実していました」
 当初は、朝から晩まで畑にいたそうで、大地との格闘は一筋縄ではいかないだろうにどれだけ楽しかったのだろうと想像したくなるような笑顔で嬉しそうに語る。
 努力が次第に実り、観光農園を夢みて計画を進めるも、現実は収穫物そのものを売るだけでは利益は上がらない。どうしようかと頭を悩ませる日々にまたまたひらめいたのが、「このブルーベリーでジェラートを作ったらどうだろう?」という6次産業化のアイディア。「オレ、出来るかもしれない!と、また根拠の無い自信が湧いてきたんですよね」とユーモアまじりに心境を表現する加藤さん。そこからはジェラート作りを調べ、学び、イタリアまで行って研修を受け、基礎を固めた上で“北海道の素材”を使ってどう美味しく出来るかの工夫を重ねながらブルーベリー農園内のジェラート店をスタートさせたのだという。
 頭の中のイメージをかたちにし、そのかたちになったものを誰かが喜ぶという仕事は、自分自身の喜びにも真っ直ぐに跳ね返る。「街なかからちょっと離れているのに、男の子達もけっこう何人かで来てくれる。美味しそうに食べているのを見ると疲れも吹き飛びます」と話すその朗らかな口調を聞きながら、誰かに“させられる仕事”ではない、自分の智恵と行動力を惜しみなく発揮する人の開拓者スピリットを頼もしく感じさせていただいた。

加藤寛志さん 収録後にも、自分でいろいろ工夫するのは楽しいでしょうねと問いかけると、前回のインタビューでも出てきた「自分で考える」というキーワードが加藤さんからも出てくる。加藤さんの「考える」大切さは、それにより自分がさらに「成長」するということ。「考え」て「やってみる」ことを積み重ねることで「知識」が「智恵」になり、また次の方法が見つかる。それこそが、仕事の醍醐味。そうでなければ、単に人から言われてする「作業」になってしまいます、と経験からの気づきを語ってくれる。共感し、頷き、笑い、さらにはリーダーシップ論も交わし合ってあっという間に終了の時間。最後にインタビューのお礼を伝えた時の加藤さんの返答がなんとも微笑ましかった。
 「沢山思いを訊かせていただき、ありがとうございました」と私。
 「こちらこそ。なんだか僕のことばかり話してしまいまして」と加藤さん。
 いえいえ、ゲストは自分の事ばかり話すのがインタビューですから。むしろ、そうしていただかないと(笑)・・・そんなふうに、志を胸に秘めてそれぞれの場で一心に働く人達の言葉を引き出す役目を果たすのが私の仕事の醍醐味と、改めて感じたやりとりだった。

 お言葉に甘えて(?)蛇足ながら私のことにも少しだけ触れて締めくくりにしたい。前述の小檜山博さんの記事で、改めて北海道の良さを再認識した思いを。
 小檜山さんは、北海道に“封建的ではない男女平等の風土”が作られた背景についてもこう表現されている。「開拓では、女性も馬追や土木作業に従事した。労働力として男女は平等で、男と女は夫婦でありながら同志でもあった」と。・・・しびれた。“男と女は夫婦でありながら同志”という表現。これが叶えられる大地こそかけがえのない別天地だと私自身は思ってきたので、改めて、北海道で生きる選択肢は私にとっての必然だったのだと確信したのだ。すでに40年近くこの地に暮らしているが、改めて。
 私自身が性格的に“あまのじゃく”ということも否めないが、時代的にも“封建的”な空気を本州でたっぷり浴びて育ったことで、当時みんなが「当たり前」と口を揃えて語る“常識”に、「いいや、違う道があってもいい。幸せのかたちはひとつではない」と抗う気持ちが強くなり、17歳の時すでに「私は結婚はすまい。仕事で生きていく」と鼻息荒く志し、放送局の就職試験に受かって道民となった私。初志貫徹を胸に秘め肩肘もバリバリに張っていたであろうそんなさなかに、この地でたまたま出会った人が言ったのだ。「仕事を続けたいのなら自分と一緒になるほうがいいと思うよ」。え? そんな結婚があるのか?! “封建的というしがらみからのまさかの解放”というカルチャーショックに半ば戸惑いながらもその道を選ぶと、それがまさに“同志”の関係性。まさに、「あなたも私も存分に働く。暮らしは力を合わせて」だ。いろんなかたちがあっていいっしょ。立場ではなく人として尊重すればいいんでないかい・・・というのが北海道人の持つ“おおらかさ”。人の数だけ価値観や選択肢はあっていいが、そういう土地の特性やそこに根ざす人達の愛しみがあったからこそ私は心が自由になっていったのだと、その懐の深さを再認識するのだった。
 小檜山さんの表現である「北海道以上のところなど、ほかにはない」。思えばそれを空気のように享受してきたが、土地が醸成してきた発想やものの考え方ひとつひとつが実は人の力を引き出す見えない財産なのだと私も言葉をかみ砕いて伝えていきたい。それが、自分自身の芯のようなものに力を与えてくれた北海道へのせめてもの恩返し・・・と思っている。

(インタビュー後記 村井裕子)

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パーソナリティ

村井裕子 フリーキャスター/声と言葉の自己表現「村井塾」主宰

HBCで18年間勤務の後、フリーとして活動。現在は放送や朗読表現活動の他、札幌や帯広など道内各地で「話し方」「朗読」講座を通し、声と言葉の自己表現による人の魅力作りにも尽力する。

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