ほっかいどう元気びと

日曜日 あさ9:30-9:50

2018年11月11日のゲスト

水尻 宏明さん
NPO法人「どりーむ・わーくす」理事長/
農福連携コーディネーター
水尻宏明さん

余市町出身56歳。
小樽商科大学を卒業後、株式会社リクルートに入社。21年間務めたのち早期定年退職し、個人事業主として独立、クリエイティブディレクターとして活動。
2011年に就農し、翌年実家のぶどう農家を引き継ぐ。
2016年には農福連携を通した障がい者の自立支援を目指し「NPO法人どりーむ・わーくす」を設立。

radikoのタイムフリーを使用すると、放送終了から1週間ほど番組を聴くことができます。

村井裕子のインタビュー後記

水尻宏明さん 今回の『ほっかいどう元気びと』は、出身地の余市町で農福連携に取り組む「NPO法人 どりーむ・わーくす」理事長の水尻宏明さん 56歳。農福連携とは、農林水産省が厚生労働省とともに進める農業と福祉の連携のことで、高齢化が進む農家にとっては人手不足の解消に繋がり、福祉の側にとっては障がい者の雇用を促進しやりがいに繋がると、最近注目されている取り組み。水尻さんが農業を通して障がい者の自立支援に力を注ぐようになったその思い、そして、実現したい世の中のイメージを伺った。

 水尻さんは、株式会社リクルートに21年間勤めた後、42歳で早期定年退職を決意しUターン。実家のぶどう農家を引き継ぎながら、障がい者が安心して働けるような農業の形を模索し、2016年にNPO法人を立ち上げたとのこと。北海道で農業をと思い描いたのは、ただただ息子さんのためだったという。
 現在25歳になる長男が知的障がいである自閉症と診断されたのが3才の時。いつも頭の中にあったのは、親が先に逝った後も障がいを持つ子が自立して生きていけるように方法を考えてあげたいということ。自分は農家の息子なのだからと北海道で農業の新たな道を選択し、親が営んで来たぶどうと米だけでは成り立たないだろうと新たにトマト栽培に乗り出し、ちょうどその折、メーカーであるカゴメからジュース用のトマト栽培の話が持ち込まれ、農産物加工も含めた農福連携の仕組みがひとつひとつ定まってきたのだという。
 「自分は何も特別なことをしているわけではなく、“これをしたい”と言っているだけ。周囲の方々の助けで今があり、恵まれていると思います」と水尻さん。そして、「周りのみんながほんとうに優しいんです」としみじみ語る。何かをしようと動き出すと、誰かが「こんな方法があるよ」とか「こんな人がいる」と教えてくれて物事が動き出すのだそう。トマトジュースの時もそう。みんながやってくれている。ほんとうに人は優しいと思う、と。
 その“優しさ”をもう少し掘り下げてみる。水尻さんは知的障がいの子供を持つ親の会「札幌市手をつなぐ育成会」で理事なども務め、その会員数が約1600名。その親達の気持ちは皆同じ。「親亡き後、子供はどうなるのだろう」という思い。全道各地にも同じことを考えている人達が大勢いる。そんな中で、「障がいを持つ子達が農業で戦力になるような取り組みをしたい」と“したいこと”を発信することで、共感の人達から知恵やアイディアが寄せられ、ひとつひとつ形になって今に至ったという。そういう“優しさ”に支えられていますと。大変さを抱えた人達がそれを乗り越えて持ち寄る“優しさ”。それをともに分け合う大切さを肌で実感し、人の思いによって物事が動いてきたのだと改めて伝わってくる。
 収録後のこんな言葉が胸に響く。「僕は社会人としては会社に育てられたが、人としては長男が育ててくれた」と。障がいを持つ子と向き合うことで、そして、他の障がいを持つ子供達や親たちと関わることで、何より相手の気持ちを考えられるようになったのだという。そして、気づいていったのだそうだ。「人は個人個人みな違う。何を思い、何を考え、何を望んでいるのかに耳を傾けられるようになったのは、息子のおかげ」と。

水尻宏明さん 障がいを持つ人達が農作業に携わるということは、これまで沢山の誤解があったと水尻さんは言う。農業者側は作業的に無理だろうと思い、福祉側は農業のことは全く分からないので無理だろうと思っている。双方に誤解があってこれまで連携はうまく進まなかったが、やり方を考え、仕事とその人とのマッチングを工夫することでより良い農福連携は可能になっていくと断言する。自分はその間を繋ぐ役割を担い、「デモンストレーションする立場でありたい」とのこと。現在、水尻さんの農園では福祉施設から年間延べ150人ほどを受け入れているそうだが、農作業を細分化して覚えやすくしたり、人の間に入って安心する人や逆に少し離れていたい人それぞれの特性に合わせて人との距離感を工夫したり、得意分野の場に配置するなど、今後の本格的な受け入れを目指して実践を重ねているのだという。
 今まで無理と言われてきたことを可能にして、障がいを持つ人も収入が確保出来、自立に繋げる仕組み作りを進めてきた水尻さん。その先にどんなイメージを描いているのか訊いてみると、誇大妄想ですが・・・と笑いながらこんな言葉が返ってきた。
 「最終的には、障がいが有る無しではなく、みんな普通に生きられればいいと思っている」
 障がいを持っていても、ある時はある地域で農作業をしていたり、またある時はある地域のカフェで働いてみたり、また別の地域に移って働いたり出来るなど、自由に居場所を選べる“普通”。子供も高齢者も学生も障がいを持った人も自分達も、皆“普通に暮らせる”場所づくり・・・それが理想です、と。

 こういう話を聞いて、いつも思い出すのは宮沢賢治の『虔十公園林』だ。何度かここでも書いたが、このお話に出てくる人々のさりげない優しさに読む度に涙が出る。
 虔十は、“いつもわらって、森のなかや畑のあいだをゆっくりあるいている。・・・風がどうと吹いて、ぶなの葉がチラチラひかるときなどは、もううれしくてうれしくて、ひとりでにわらえてしかたないのを、むりやり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながら、いつまでもいつまでも、そのぶなの木を見あげて立っている”。
 “すこしたりないと、子どもらにばかにされて笑われていた虔十”は、今で言う知的障がいの子供なのだろう。しかし、家族総出で作業する畑の手伝いもすれば、納屋で虫食い豆の選別もする、働き手のひとりだ。突然、「おらさ、杉苗七百本買ってけろ」などと言い出す虔十に、おとうさんは「買ってやれ、買ってやれ。虔十ぁいままで、なにひとつだて、たのんだごとぁなぃがったもの。買ってやれ。」と言い、おにいさんは「おれ、苗買ってきてやるがら。」と声を掛ける。近所の人にからかわれて下枝を払い過ぎても、「おう、枝あつめべ、いい焚ぎもの、うんとできだ。林もりっぱになったな。」とおにいさんは機嫌良く声を掛ける。見守られ、受け入れられ、出来る仕事をさせている。そして、虔十が何を思い、何をしたいのかにも耳を貸しているのだ。ばかにする子どもがいたりいじわるをする人も中にはいるが、ずぶぬれになって雨の感触を楽しんでいる虔十に、近所の人は「虔十さん。今日も林の立ち番だなす。」と通りすがりに声掛けをする。
 虔十が若くしてチフスで死んだ数十年後、彼が植えた杉が立派な林になって次の時代の子ども達の心をしあわせにするというお話なのだが、この彼を取り巻く人達の花巻弁を口にする度に温かい雨のような涙が湧いてくる。「人って基本的に優しいです」。水尻さんの言葉を聞いて、静かな感動はそんな“人の基本的な優しさ”を思い出すからなのだと気づく。
 どんな人も、役に立つ。それは、目の前の仕事で役に立つこともあるだろうが、無駄なことだと思われるようなことでもいつか誰かのしあわせを作るかもしれない。誰かの記憶に残って温かい気持ちにさせるかもしれない。
 すがたかたちや学歴や地位など大きく超えたところで、人は皆なんらかの力を持っている。・・・それを信じていた賢治の心もなんて温かいのだろう。そんな優しさの意味を改めて噛みしめてみたいとインタビュー後の余韻の中で思うのだった。

(インタビュー後記 村井裕子)

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パーソナリティ

村井裕子 フリーキャスター/声と言葉の自己表現「村井塾」主宰

HBCで18年間勤務の後、フリーとして活動。現在は放送や朗読表現活動の他、札幌や帯広など道内各地で「話し方」「朗読」講座を通し、声と言葉の自己表現による人の魅力作りにも尽力する。

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