ほっかいどう元気びと

日曜日 あさ9:30-9:50

2019年7月21日のゲスト

菅原 亜都子さん
札幌市男女共同参画センター 事業係長/
公益財団法人さっぽろ青少年女性活動協会
菅原亜都子さん

札幌市出身 39歳。
北海道大学教育学部を卒業後、さっぽろ青少年女性活動協会へ就職。
女性を取り巻く問題に関心があり、起業したい女性に向けてセミナーを開くなどする中、2014年、女性が気軽に利用できるコワーキングスペース「リラコワ」を立ち上げる。
2016年には「北海道女性起業家支援ネットワーク」通称(ほくじょき)を設立。様々な形で女性支援に力を注いでいる。

radikoのタイムフリーを使用すると、放送終了から1週間ほど番組を聴くことができます。

村井裕子のインタビュー後記

菅原亜都子さん 今回の『ほっかいどう元気びと』は、札幌市男女共同参画センター エルプラザ内にある女性のためのコワーキングスペース「リラコワ」を運営する公益財団法人「さっぽろ青少年女性活動協会」の菅原亜都子さん 39歳。女性の生き方や働き方を応援しサポートする活動に込める思いを伺った。

 女性の起業の第一歩や働くきっかけ作りを応援し、互いを繋げる場として開設されたコワーキングスペースの「リラコワ」。菅原さんはその役割として、女性が独りで何かを始める時に抱えがちな“孤独感”を解消してもらうための場であり、家事と切り離した場所で仕事に集中してもらえるスペースの提供なのだと話す。コワーキングスペースとは「共同で仕事をする場所」としてここ数年各所に設けられるようになったが、男性のビジネスマンやIT関係者が多く、女性が気後れすることも多かったのだそうだ。コンシェルジュに相談も出来る「リラコワ」は気軽な“入り口”であり、そこから就業支援の専門機関などに繋いでいくステップの第一歩をサポートする役割とのこと。そして、応援という意味の中には、個々の女性をサポートするということは勿論、取り巻く環境の問題を解決するための意識変革を進めていくことが実は重要。その課題を様々な機関と模索しながら共有してきたのがこれまでの道のりなのだという。“皆が当たり前にやりたいことが出来る”社会にしていくための地ならし的な役割だ。

 菅原さん自身が女性を支援する仕事に就くようになったのは、最も身近な母親の生き方や夫婦の関係性に違和感を抱いたことが大きかったという。愛情深い家庭ながら、前時代的な“男らしさ”や“女らしさ”を踏襲し依然としてその役割に徹していることに疑問を募らせる中、「ジェンダー」という言葉を知り、この違和感は誰か一人の女性の問題ではなく社会の問題だったのだと腑に落ちたのだそうだ。「それ以来、まずは家の中で少しずつ“ジェンダー教育”を始め、母も父も少しずつ変わっていったことが成功体験でした」と菅原さん。男女ともに、“これが当たり前だ”と思い込んでいる刷り込みを気づきによってひとつずつ手放していくことで、女性は“生きづらさ”を解消していくことは勿論、男性も“男らしさ”から開放されて相手との関係性も変えることが出来、共に自分はどうしたいのかという自由な発想を手に入れることも出来る。そんなふうに身の回りから変えていかなければと思っていた熱い気持ちが伝わってくる。
 そして、その熱い思いを仕事へと振り向けていった菅原さんが実際に活動を通して変わっていったことがあるという。女性を取り巻く社会の問題は、DV、性暴力、セクハラ、人格を否定するような差別などなど、“怒り”を感じることがほとんどで、菅原さんもいつも怒りながら仕事をしていたというが、ある時、カナダのDV被害者向けのプログラムに取り組む女性の「あなたの職場には温かい灯火(ともしび)がついていますか?」という言葉に触れて、ハッとしたのだという。暴力と闘っているのに温かいというのはどういうことかと思ったが、そこから、「もっと笑顔でジェンダー平等を目指してもいいんだ」と考え方が変わったのだという。怒っている時は怒っている同志で仕事をしていたが、意識のシフトチェンジが出来てからはもっと人が集まってきて、支持する男性も増え、そこからまた気づきが人から人へと広がっていきましたと振り返る。
菅原亜都子さん いわゆる「女性問題」に男性が参画していくというのは、長年のテーマであり、大事なキーワードだ。菅原さんは、「男女共同参画は“女性に優しい社会”ということではなく、誰にとっても優しい社会。女性、男性、どの性別の人も、自分のため、自分の大切な人のために躊躇せずに力を発揮出来る社会」と表現していた。個々が持っている力を出し切らない(出し切れない)社会がすごく悔しいと力を込めて語る言葉ひとつひとつを共感の思いで聴きながら、ほんとうの意味での“優しい社会”を叶えていくことの大事さを感じた。
 収録後、昭和・平成・令和にかけてのジェンダーの変遷についてやり取りを続ける中、菅原さんは今後の方向として、“男女”の格差の解消への取り組みも勿論だが、今は性差を超えた格差問題や貧困問題も大きな課題であり、男女だけではない“LGBT”への配慮も欠かせない、“誰一人取り残さない”という理念の「SDGs(持続可能な開発目標)」と足並みを揃えて環境問題などとも一緒に進めていくことが大事と、将来への展望を話されていた。ふと、そんな菅原さんの生年月日を見ると、ちょうど、私が社会に出た年(!) 就職してよちよち歩きの時期に、菅原さんは世の中に産まれてきたわけで・・・そう思うと、ジェンダーの課題はこうやって受け継がれていくのだなと何とも頼もしい思いになった。

 私が社会人となった1979年。その頃の女性問題はその前の時代の“ウーマンリブ”というキーワードから“フェミニズム”という言葉に変わり、まだまだ男女格差や男尊女卑の“刷り込み”はそこかしこに厳然と残る時代だったが、立ち向かい方としてはラジカルな女性差別撤廃運動では何も解決しない、人権問題として根本を変えるために女性問題は女性だけの問題ではないという意識を醸成させようという空気が広がりつつある過渡期でもあった。放送の現場にいた私自身もストレートな異議申し立てではなくもっとしなやかに女性の生き方を浸透させていくアプローチはないものかと試行錯誤を続けていたが、東京を訪れた時に必ず立ち寄って力を貰っていたのが表参道の「クレヨンハウス」。女性問題関連の書籍を集めたフロアーにしばらくとどまり、地方では手に入らない専門書を前にして、新しい視点を吸収する高揚感にときめいたものだった。そのフロアーへ繋がる階段の小さな踊り場には「クレヨンハウス」主宰の落合恵子さんの理念が書かれた自筆のボードが置かれ、訪れる度にそのしなやかで凜とした文を噛み締めるように読んだものだが、中でも印象深く覚えているキーワードが「オルタナティブな」という言葉。これまでのものの見方とは違うもうひとつの視点を取り入れ、行動することの大切さといったような意味合いで使われていた。20代、まだまだ仕事も生き方も何もかもが“ひょっこ”だったが、“もうひとつの”という視点はきっとこれからすべての“当たり前”を問い直す時の根本の考え方になるに違いないと熱く確信したことを覚えている。40年も前に心の奥深くに蒔かれた“種”。それは今もなお私の内側で幹を太くしている。
 そんなふうに、私自身、前の世代の“姉達”から沢山の“ものの見方”、ひいては生き方の指針をいただいた。さらに、菅原さんの世代、そして、次の世代の“妹達”に何が受け渡せるのか、どういうやり方が“誰一人取り残さない”結果に繋がっていくのか、しっかり考えなくてはと改めて感じている。

(インタビュー後記 村井裕子)

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パーソナリティ

村井裕子 フリーキャスター/声と言葉の自己表現「村井塾」主宰

HBCで18年間勤務の後、フリーとして活動。現在は放送や朗読表現活動の他、札幌や帯広など道内各地で「話し方」「朗読」講座を通し、声と言葉の自己表現による人の魅力作りにも尽力する。

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