ほっかいどう元気びと

日曜日 あさ9:30-9:50

2018年12月9日のゲスト

五十嵐 慎一郎さん
「株式会社 大人」代表取締役社長
五十嵐慎一郎さん

小樽市出身35歳。
東京大学建築学科を卒業後、2011年に不動産会社に入社。会社の新規事業として東京銀座に「大人の秘密基地」をコンセプトにしたコワーキングスペースを立ち上げ、独立後も運営会社として関わる。
2016年、札幌に空間・イベント企画会社「株式会社 大人」を設立。
また、「札幌移住計画」「北海道移住ドラフト会議」などのプロジェクトも展開している。

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村井裕子のインタビュー後記

五十嵐慎一郎さん 今回の『ほっかいどう元気びと』は、今年10月に札幌で行われた「北海道移住ドラフト会議」の仕掛け人のひとりである五十嵐慎一郎さん 35歳。札幌の空間・イベント企画会社「株式会社 大人」代表取締役社長として忙しい日々を送る中、北海道で働きたい道外の人達と道内企業や自治体との橋渡しのための幾つかのプロジェクトに仲間達と力を注いでいるという。「北海道移住ドラフト会議」とは、まさしくプロ野球からそのノウハウを、ユニークに、且つ、真面目にアイディア化し形にした“北海道移住マッチングイベント”とのこと。面白い発想と実行力で、働き場所と人材とを結ぶ仕掛け作りを進めるその思いを訊いた。

 五十嵐さんは、いわゆる“型”にはまらない仕事の仕方を選択してきたひとりだ。東京大学で建築を学び、東京の不動産会社に就職。コワーキングスペースを立ち上げるなどの経験の後に独立。2年前には札幌に戻って“空間・イベント企画”の会社を興し、今に至る。既成の職種に比べてひとつひとつを説明するのは難しい仕事内容だが、五十嵐さんの取り組みの中ではっきりしているのは、「北海道を何とかしたい。みんなで北海道のために何かやろう」という思いだ。“町をどう作るか”というよりも、“町と人をどう最適に出会わせるか”という“新たな道民の創出”。道外には、北海道に戻りたいというUターン希望者や北海道で働きたいと夢を持つ意欲ある人が少なからずいるが、個人では受け皿探しは難しい。そういう“一歩目の出し先を探す人”と北海道とのマッチングを智恵とアイディアで解決したい、そのクリエーターになりたいという思いが根本にある。
 そういう思いになったのは、小樽で生まれ札幌で育ったのちに大学進学と就職で北海道を離れたことが大きかったと五十嵐さんは話す。東京での暮らしの日々に北海道を外から眺めてみると、なんて北海道は豊かな自然に恵まれ水も空気も綺麗だったのだろう、それらに育まれた食べ物はなんて豊富で美味しかったのだろうと当たり前のことに気がついたのだそうだ。「それは、生物として実はとても大事な環境じゃないか」と。そして、「資本主義のその先のヒントが北海道にあるんじゃないかと思うんです」とも。
五十嵐慎一郎さん 資本主義社会だから勿論利益を求めることも欠かせないが、人が生きる上で利益追求を超えたもっとその先に大事なものがある。そこに気づくのにふさわしい場所こそ北海道ではないか。・・・そういう思いが伝わってきて、深く共感。35歳・五十嵐さんの口調は率直な思いの時には時折“今風”になり、素のままの若者言葉に(そこ編集するとしたら次の言葉をどう入ったらいいかな・・・と)想定外のハラハラにちょっぴり汗する場面もあったが、この年代の人達が“利益のその先のもっと大事なもの”という価値観を大切にしているということ、その真っ直ぐな志を持って北海道の未来に関わりたいと思っているということを聞かせて貰え、それがとても頼もしく思えたのだった。
 町づくりに定石通りの方策は無いも等しいのが今の時代だ。少子高齢化・過疎などと一言で括ってもその土地、その場所、その産業で幾通りもの課題があるし、試してもうまくいかなかったことも山ほどある。地道にひとつずつ積み上げて成果が出るものもあるだろうし、“第一回選択希望選手・・・”という皆が知っている口調が耳目を引く「北海道移住ドラフト会議」のように花火を上げるようなイベントも何かの起爆剤になるだろう。五十嵐さんの言葉を借りるとすると、“めちゃめちゃ面白い企画”、そして、“めっちゃ面白い企業”を創り出していくという熱も大事なのだと思う。「なんとかしたい」という思いはくすぶらせるままにしておいてはいけない。“仕掛け”を作って、賛同者とともに進めていくしかないのだ。
 道内にはクリエーターの役割の人が圧倒的に少ないということも東京での仕事経験で気づいたことのひとつですと、収録後に語っていた五十嵐さん。ふるさとをより良く変えるために自分がその実践をしていきたいという素直な思いを聞きながら、北海道という大きな“船”は、やはり様々な年齢の“乗組員達”に愛されているのだと温かい気持ちがした。

 北海道の過疎の町に暮らす人々を描いた「向田理髪店」という奥田英朗さんの小説がある。かつて炭鉱で栄えるが財政破綻している「苫沢町」という架空の町が舞台。主人公である53歳の理髪店主の元に、札幌に出て就職した20代の息子がサラリーマンを辞めて店を継ぐと宣言して戻って来る。息子は意気揚々と「建て増ししてカフェも造り、新しい客を取り込む」と語り、町に残った若者達と一緒にコミュニティFM作りだ、ガソリンスタンドを改装して漫画本に特化した書店を併設させるだのと町づくりに活気づいている。
 理髪店主の男はそもそも人がいない地域でそんなことを始めても上手く行くはずがないと否定的だ。自分自身が都会へ出たものの挫折の後に故郷の理髪店を継いだという過去を持ち、理容師の仕事に誇りは持ちつつも別の人生があったのではという思いが時々彼を苦しめる。消化出来ない自己の思いと、どんなに町おこしの事業を試みられても人は減り財政は逼迫の度を深めてきた現状を目の当たりにしてきた当事者としてのやるせない思いが入り交じり、東京からイベントプランナーを招いた町おこしの催しで心情を吐露する。
 「わたしらの世代はもう現実をいやってほど見てきた。税金を投入して、第三セクターとやらを作って、工場を誘致したり、あれこれ事業を興してきた。だども全部ダメだったべ。あれだけ金を使ってダメだったもんが、若い人たちの熱意だけでなんとかなるとは到底思えね。・・・沈む船なら、親としては子供を逃がしてやりたい」。
 すると、不穏な空気が流れる中で、息子が唸るように言う。
 「沈む船かどうか、やってみねえとわからねえべ・・・やりもしねえで、沈むってどうして言える」
 そして、さらに息子は言う。
 「親父たちはやってだめだったかもしれねえけど、おれたちはまだやってねえ」

 息子の将来を思う父親の思いも痛いほどよくわかるが、「おれたちはまだやってねえ」という息子世代の言葉が胸にささる。親世代はいろいろやった。でも、だめなものはだめだった。・・・だが、子供世代として我が町のためにやってみたいというトライやチャレンジ。それをやめてしまえと誰が言えよう。頭から否定されて「何とかしたい」という“思い”が消えるほうが、そうなってしまうことのほうが怖い。町づくりに簡単な方法など無い。時代時代で智恵を出し合ってやってみるしかない。バトンを委ね続けるしかないのだ。
 その“バトン”の向く先が、ほんとうに、この土地の宝である水を空気を土を森を海を、そして、何より住む人を大事にする思いが叶えられる未来であれば、自由な力を存分に注ぎ合って進むしかない。五十嵐さんの言うように、楽しく、面白く。そして、何よりも、利益を超えた先にある“北海道だからこその宝”を共有する大切さだけは絶対に忘れないようにしながら。

(インタビュー後記 村井裕子)

※奥田英朗/著「向田理髪店」(光文社 2016年4月 刊)

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パーソナリティ

村井裕子 フリーキャスター/声と言葉の自己表現「村井塾」主宰

HBCで18年間勤務の後、フリーとして活動。現在は放送や朗読表現活動の他、札幌や帯広など道内各地で「話し方」「朗読」講座を通し、声と言葉の自己表現による人の魅力作りにも尽力する。

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