「朝刊さくらい」毎週月曜から金曜 朝6時30分~9時放送
月)蜂谷 涼(小説家)
月)蜂谷 涼(作家・小樽ふれあい観光大使)
「蜂谷涼の今朝もドキドキッ!」
1961年小樽市生まれ、作家。地元北海道を中心にテレビ・ラジオ出演、執筆・講演活動を行っている。
1996年に小説新潮長編新人賞候補となる。
著書に「煌浪の岸」(読売新聞社)「海明け」「ちぎり屋」「煙波」「螢火」(いずれも講談社)「小樽ビヤホール」(講談社文庫)「てけれっつのぱ」(白艪舎)がある。2008年10月、劇団文化座により舞台化された「てけれっつのぱ」(柏艪舎)は、文化庁芸術祭大賞を受賞。執筆・講演活動のかたわら、テレビ・ラジオ出演など幅広く活動している。
火)舘浦あざらし(ライター、イラストレーター)
火)舘浦あざらし(ライター、イラストレーター)
「舘浦あざらしの朝から旅日記」
1963年4月25日生まれ。O型。
小樽市朝里川温泉出身。「北海道いい旅研究室」発行人兼編集長。
椎名誠に憧れて24歳で物書きになり、北海道を中心に旅エッセイを書きまくる。1999年、大好きな「本の雑誌」をお手本として「北海道いい旅研究室」を創刊。最新本に小説「温泉の神様の失敗」(柏艪舎)がある。

水)諏訪 裕滋(弁護士)
水)諏訪 裕滋(弁護士)
「諏訪裕滋の早起き法律事務所!」
1949年、札幌市生まれ。早稲田大学法学部卒。諏訪・髙橋法律事務所弁護士。
朝7時半からの開業が評判を呼び、今や北海道の有力企業80社余りの顧問弁護士を務める。
弁護士活動で体験した、小説よりも数奇な体験を基に書き下ろした「カメレオン賛歌」(文芸社)など、北路冬人のペンネームで作家としても活躍している。
著書に「カメレオン賛歌 パート2」(文芸社)、「不動産の法律Q&A 400」「新借地借家法入門」(住宅産業新聞社)、「これで得する相談・贈与税」(監修、すばる舎)などがある。

木)高井 瑞枝(トータルフードコーディネーター)
木)高井 瑞枝(トータルフードコーディネーター)
「北海道は食の宝島!」
北海道出身。チベットの奥地からアメリカ農業の最前線まで、世界を駆け回る。
日本料理・四川料理・インド料理などを数カ国で学び、1975年渡米し、アラスカの大学で料理技術とマネージメントを学ぶ。1988年帰国後,札幌を拠点にトータル・フードコーディネーターとして国内外で活躍。
食とは、地球・土・水と、作る人・食べる人によって支えられ、大切なものは「思いやり」というのが持論。食工房ミイロ代表。

金)伊東 徹秀(コピーライター、街づくりアドバイザー)
金)伊東 徹秀(コピーライター、街づくりアドバイザー)
「伊東徹秀のコレに注目!」
1942年札幌市生まれ。法政大学卒業後、フリーのコピーライターとして事務所を設立。
現在は、道内のマチおこしや地域プランの立案などを行う地域プランナー、広告プランナーとして活躍。
著書に北海道各地の風土と人をいきいきと描いた珠玉の紀行エッセイ集「北紀行 風の恋歌」「乗ってけ鉄道―列島なりゆき日誌」「行ったぞ鉄道―列島がたごと日誌」などがある。
月)岩本 勉(元日ハムエース)
月)岩本 勉(元日ハムエース)
「ガンちゃんの毎度!」
水)丸山 淳士(五輪橋産科婦人科小児科病院名誉理事長)
水)丸山 淳士(五輪橋産科婦人科小児科病院名誉理事長)
「ドクター丸山の病気なんてぶっとばせ!」
札幌医科大学卒業後、門別国保病院、斗南病院の勤務を経て、1980年五輪橋産科婦人科小児科病院を開業。スポーツ、写真、音楽と幅広い趣味でも活躍。健康の普及の為のユニークな発想で知られる。現在五輪橋産科婦人科小児科病院名誉理事長。
HBCラジオで提唱した「脱パンツ健康法」は全国的に注目を集めた。

木)川合孝治(元コンサドーレFW)
木)川合孝治(元コンサドーレFW)
「コンサドーレ情報&井戸端会議」
1970年生まれ(コンサドーレ札幌での出場記録)1996年(JFL)26試合出場、8得点/背番号24初代チーム得点王。コンサドーレ札幌にとっての 道内での最初の試合(1996年JFL第6節、大分トリニティ戦、室蘭市入江運動公園陸上競技場)に後半13分から途中出場、延長前半12分にVゴールを 決めています。このゴールは、道内のサポーターに勝利をプレゼントするVゴールであったとともに、川合選手自身の26歳の誕生日を自ら祝うバースデーゴー ルでもありました。現在は、HBCラジオコンサドーレライブスタジアムの解説者でもある。またコンササポが集まるお店、札幌市中央区南4条西3丁目 第3 グリーンビル5階にあるBAR「DonBe」のオーナー
ブログ http://www.consadole.net/donbe/

金)岩本賢一
金)岩本賢一(日本ハムファイターズ・チームディレクター)
「日本ハム極秘情報!」
昭和47年、旭川生まれ。子供の頃から、北海道にプロ野球チームが出来れば、
そこで選手として活躍したいという夢を抱いていた。しかし、ひざのけがで選手生命を絶たれるが、どうしても野球が忘れられず、選手を支える側に回ることを決意、旭川北高校を卒業後、トレーナーの勉強をするため、アメリカの大学に留学。
その後、ニューヨークメッツで新庄剛の通訳をするなど、アメリカで活躍。
日本ハムの北海道移転を知り、その一員になりたいという強い思いで、日本に戻り、ヒルマン前監督の通訳を務める。日ハム日本一の陰の立役者でもある。
現在は、ファイターズのチームディレクターとして活躍中。
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