アナウンサー日記バックナンバー
No.254:2007年 9月3日〜9月9日

▼2007年9月3日(月)「趣味は日焼け!?」(川畑 恒一)
両者の腕の日焼け具合
あまりの違いに思わず苦笑
 会う人ごとに、「ずいぶん焼けてますね」と言われます。

両親の話によると、産まれたときから地黒だったらしく、夏の日差しはたっぷりと吸収するタイプ。
小学生の頃は、夏休み後の日焼け自慢大会で上位入賞?の常連でした。

社会人になってからも、この時期はいつも日焼けしていて、ゴルフを始めてからはさらに加速。まともな対策をしていないこともあって、いつも日傘を手放さない阿部彩子アナと比べるとごらんの通りです。

最近は紫外線を浴びることの害がいろいろと言われていますが、個人的には北海道の短い夏、夏の日差しをいっぱいに浴びるのもマイナスだけではないのではと思っています。

>これまでの川畑の日記


▼2007年9月4日(火)「北斗マルーン、栄冠めざし60年。
しかしOB会に大きな顔で出席できるのは全国大会に出場が最低条件か?
ハードル前でこけた内藤は?」(内藤 克)
ラグビー部集合写真:内藤はオッサンくさい(メガネなし)&内藤はどの尻?
髪がライオン丸(メガネなし)&我が母校北見北斗正面・・・建物が新しく入りづらい
記念碑全景:モデルは2・3年前の部員だそう&OBと記念碑:この辺は全国組
OBと記念碑:ジャージを着ての撮影&内藤も人が居なくなってからちゃっかり1枚
OB全体写真:この日は暑くてかなりだれています、多いなぁ。&グラウンドOB戦・・土のグラウンドや!!
グラウンド観戦するOB・・いつでも何か一言いいたそう!?&グラウンドプレハブの部室・・結構立派だよね。
グラウンド雨天用ビニールハウス&グラウンド・・この風景からラガーマンが出てくるのさ!!変わらないよ。
祝賀会:宴会要員も多数参加!!こっちが得意?先輩OB&右から3人はいずれも内藤の「2年」後輩です。
 内藤がラグビーが好きなことは、このアナ日記で何度も書いていますがそのもっとも大きな理由は高校でラグビーフットボールに出会えたことと、そこで完全燃焼できなかったことなのではないかと常々考えている。昭和31年1956年生まれの内藤にとって世の中は「巨人・大鵬・卵焼き」の時代で、間違いなく内藤もその洗礼は受けています。つまり小学生のころは下手でも何でも野球しかなく、詰まるところノーコンピッチャーで4番だったし、さらに、東京・メキシコ・ミュンヘン、冬は札幌とつながるオリンピックブームでスピードスケートやなぜか陸上競技に現をぬかしていたがどちらも努力する天才には凡人は及ばないことを嫌というほどに思い知らされる結果になっていたし、高校生になってまで何かスポーツをという気持ちにはなりませんでしたね。(最初は汽車通学・・本当に煙の出る汽車で美幌から北見へ通学していたんだよ〜ん・・だから何もできないと思っていたしね。)それがなぜ今では50を過ぎてもラグビーに両足突っ込んでいることになっちまっているのかまぁ、「はまる」というのは内藤にとってラグビーだったのでしょうとしか言いようが無いのかもしれないなぁ!?

  そんな内藤の母校北見北斗高校のラグビー部が創部60周年を迎えて記念の式典が先月8月12日(日)に北見で行われました。ここからが大問題、ただし内藤にとってだけどね。というのも60年の歴史の中で全国大会(これはあくまでもインターハイすなわち花園)に出場したのは34回、単純計算すると2年に1回以上は花園に行っているわけで、なおかつ準優勝は4回ともなるとOBにも花園経験者がうようよいることになり、OB会も気楽に参加できるのは全国組(どこぞの組織ではないけれど)が中心になるわけですよ。だって年配のOBが昔の話になると全国組の話が中心で、そのとき花園落選組に話の矛先が回ろうものなら「あっ、お前の代は花園に行ってないものなぁ」と言われ超肩身がせまくなるのだそうです。まぁ本当に負けたから仕方がないんですけどね。そして内藤は1年生の最初に熱心に勧誘されたのですが「北斗まできてラグビーはねぇ」と従兄弟を知っていたせいか乗り気になれずその結果昭和47年1972年の花園に行くことなく、1年の冬のスキー授業の帰りに2年生1人1年生4人になってしまったラグビー部の「野球部と雪上サッカーするからやらない?スキーは部室に置いておけば。」の一言で雪上サッカーやって部室に帰ったら3年生の先輩がいて「おぉー、今日から入ったのか明日も来いよ!」の一言に断りきれなくてズルズルと居ついてしまいました。今入れば「全国大会」で作ったジャンバーも付いてくるというのも大した魅力だったんだなぁ。オレンジ色の派手なやつでネットに入れずに洗濯して(当時ネットなんて物知らなかったし。)すぐボロボロにしちまったっけ。という訳でラグビー部に入ったのですが、「あぶないから」という親御さんの暖かい気持ちや進学熱という熱病のおかげでなどもあり人数不足に悩まされとか何とか言いつつ「北見北斗」という伝統のアドバンテージで10点くらい先に貰っているような試合を続けていたのですが3年生の地区大会で美幌高校(当時の監督は北見北斗OB全国準優勝組当時2年 橋本定彦先生でした。)に負け、花園の夢は散ってしまいました。つまり花園落選組な訳です。で、なぜ大きな顔も出来ないのに何十周年だとかいう記念行事に出ているかと言えばこれは本人の厚顔無恥プラス自分たちの同期やその近辺にラグビー部創設時のメンバーの子息がいてその勢いに便乗していたり、HBCに入り高校ラグビーの中継でずっと母校を見てきて頓挫した夢の続きを見せてもらいたいからではないかと思っています。すげぇ長い前ふり!やっぱ花園にいけなかった負い目というか悔しさあるもんなぁ。

  ここで閑話休題、ラグビーミニクイズ!!(1)ラグビーの試合でボールをヘディングしました。これは反則になるでしょうか?(2)自分の所にきたボールを胸でトラッピングして処理しました、これはどうでしょう?

  8月12日の記念行事は、北見北斗の校庭に60周年を記念して作られた碑の除幕式から始まりました。正門を入ったすぐ左手に立派なレリーフの入った記念碑ができOBがほとんど年功序列形式で写真に納まっていました。正直あんなに沢山のOB(内藤も32年前卒業のOBなのですが)を見たのは初めてでした。60年といえば昔風に言うと干支が一回り、区切りと言えば大きな区切りなのでしょう。
そのあとグラウンドで現役対OB戦が行われたのですが、ひそかに一式用意はしていったものの、やっぱアホでしたわ。高校生と若い30代が一番上のOBの中に入らなくて本当によかった。それに公立高校のグラウンドですから芝を望むのは無理でしょうが、土のグラウンドは久しぶりでよくここでやったもんだと感心してしまいました。それにグラウンドの隅には部室のプレハブ、主に雨天や冬季の練習用のビニールハウスもあり、環境でラグビーが上手くなるわけではありませんが、よい環境があれば強いラグビー部を望まれる事は避けられないでしょう。まぁ、自分が現役の高校生のときは30才といえば遥かな年寄りとしか感じられなかったので50を過ぎたおっさんの戯言と受け流してください。

  夕方から開かれた宴会(正式には記念式典、ラグビー風に言うと試合後の交流を図るアフターマッチファンクション、ある意味で当たってると思うのですが)には、これも沢山のOBが参集していました。内藤の席は下座にあるのですが、考えてみると高校は3年間でさらに2年上の先輩と2年下の後輩までしかわからないのですから知り合いが多い人は異常です。(地元で議員でもやっていない限りは!?)北斗のOBはかつては進学しても就職してもラグビーを続ける人間が多く、地元のクラブに所属するなどして頻繁にOB戦を組んでいただいたり内藤も転勤で北見に来たときに入っていたので意外と知っている顔が多くてほっとしましたが。それにしても皆年取ったかなぁ?60までは筋トレさえ適切にしていればグラウンドでもきちんと出来ると元函大有斗の安本さんが言っていたよ。もう少し頑張りましょう。ちなみに50周年のときに記念になるかなと思いバッグを提案したのだけど今ひとつの反応だったんだよねぇ。現役が持っているバッグ格好がいいでしょ。(今のスポーツ系のクラブなら必ずそろえているやつ。)これからなら骨壷をすっぽり入れてお墓に収めるというのはどうでしょう??最後までラグビーと共になあんて。これマジに提案してみようかな!!

  ではおしまいにラグビーミニクイズの回答です。(1)と(2)ともにルール上反則との認識に至る条文はみあたりません。なぜならラグビーがフットボールという前提の上に成り立っているからで、条文に載せるまでもなく当たり前の事だからだと考えられます。これは30年以上前高校のとき教えてもらいました、ルールの下を見よです。もっとも、最近ではラグビーハンドボールにしたがっているような節もありますがね??

  おまけに我が北見北斗高校ラグビー部の部歌を披露してお開きに致しましょうだって60周年の時には創設時のOBもいらしてその後に出来た部歌は歌えずに終わってしまったもんですから。(1番のみですが)

1.炎天こがす  しゃく熱も    砂じんとばす  北風に
 寒風すさぶ  吹雪にも    熱と意気とで  吹きとばし
 北斗マルーン  突走る    栄冠めざし 栄冠めざし
 北斗 北斗  ラガーメン

▼2007年9月5日(水)「おしゃれな手ぬぐい」(船越 ゆかり)
秋の風情です
江戸のモダン
浮世絵の金魚たち
沖縄サンゴ礁の魚たち
お月見の季節にはこれ
 まるで一枚の絵のようですが、これは日本手ぬぐいです。

もともとは洗顔に、お手ふきに、台所のふきんとして。
外出の時にはハンカチになるし、ほっかむりもできる、と大活躍のアイテムだったはずですが、最近は「家にはないわ」というお宅も多いかも。

料理人や職人さんにはよく似合いますが、自転車旅行の若者が、頭に巻いたり、首に巻いたりしていたのはちょっと粋でした。
綿100%なので、汗取りにも優れているし、タオルよりも薄手なので扱いやすく、洗ってもすぐに乾くのがいいところ。

こちらは東京上野国立博物館のミュージアムグッズ。
江戸時代の縞柄ですが、色合わせが素敵で全く古さを感じさせません。

こちらの金魚は浮世絵の中から抜き出したもの。
なぜか怪しいおたまじゃくしが混じっているところは江戸ッ子のしゃれっ気でしょうか。

これはなんと沖縄美ら海水族館のお土産グッズ。
明るい色使いが南国風です。美ら海水族館のグッズはデザインが良くておしゃれなものが揃っていて、見ているだけでも楽しかった。

私はもっぱら壁に飾っています。
手ぬぐいサイズの専用額も売られていますが、簡単にピンで留めるだけで、季節感が楽しめます。
そろそろ「月にうさぎ」の出番ですね。

▼2007年9月6日(木)「絵葉書の世界で羽を伸ばしてきました」(堀 啓知)
パラオの海に似合わない白い肌
美しい海
海に沈んでいるゼロ戦
錆びた大砲
無数の錆びたドラム缶
シュノーケルを装備して遊泳
カヤックで無人島回り
プライベートビーチの夕焼け
 先日、まとまった休みを利用してパラオに行ってきました。
日本から南に約3000q、大小300余りの島々からなる国です。
新千歳空港からグアムを経由して7、8時間で到着。
日本の南に位置するので時差はなく、年間平均気温が27度と温暖な気候です。
ご存知の方もいると思いますが、パラオは日本と歴史的に縁の深い国です。
1914年の第1次世界大戦から終戦までの約31年間、日本は占領統治していました。
その間多くの日本人が現地に移住し、インフラ整備や日本語教育を持ち込みました。
地元の日本人ガイドの方が「日本人によって街が開発され生活はしやすくなった反面、戦争に巻き込んでしまったことを考えるとパラオの人たちにとってみれば幸せだったのかどうか・・・」と話していました。
こういった背景があるためパラオ語になった日本語がたくさんあります。
「ダイジョウブ、デンキ、ベントー、サルマタ(下着のパンツのこと)・・・」
また、パラオの島々は太平洋戦争の激戦地となったため、今でも戦跡がいたるところにあります。
岸壁に配備された大砲、船の給油をするためのドラム缶、海に墜落したゼロ戦。
パラオの法律では、戦争の記憶を風化させないためにこのような戦跡を残しておくことにしているそうです。
もちろん歴史に触れるだけでなく、南国の海を楽しみました。
シュノーケルでサンゴや鮮やかな色の魚を見たり、カヤックで無人島を回ったり、ホテルのプライベートビーチで遊んだり・・・。
日焼け止めクリームを塗ったのですが、背中や肩が真っ赤にはれてしまいました。
その痛みを感じながらこの絵日記を書いていますが、真っ先に思い出されるのは島の緑とエメラルドグリーンの海と爽やかな風・・・。
すべてが絵葉書の世界でした。

▼2007年9月7日(金)「海外で初体験しちゃいました♪」(松坂 有希子)
写真(1)
写真(2)
写真(3)
写真(4)
写真(5)
写真(6)
写真(7)
写真(8)
写真(9)
写真(10)
 今回は、9月8日(土)12:09から放送の“ユメイロ。スペシャル”での初取材旅行に、先輩の石崎アナウンサーと、行ってきました☆
なんと、初取材旅行で海外!いいんですか〜〜〜(゜O゜)ドキドキ!!ワクワク!!
実際に行ってみて、あらゆる楽しみ方ができる、とても盛りだくさんな国でした♪
マレーシアの首都、クアラ・ルンプールでは、ツインタワーやタイムズスクエアなど、大都会を満喫できる場所あり、チャイナタウンやモスクなど文化・歴史の混在を感じられる場所あり、ちょっと郊外へ足をのばせば豊かな自然を満喫できる場所あり、とあらゆる好奇心を満たすことができます。現地で出会った方たちの、優しさや笑顔も印象的でした。

詳しい内容については、9/8のユメイロ。スペシャルをご覧いただきたいのですが、今回の日記ではマレーシア取材の裏側をお見せしちゃいます。
それでは、写真とともに振り返ってみましょう☆



写真(1)中華系の屋台にて。マレーシアの屋台は、お安く、美味しい料理が食べられます。

写真(2)王宮の警護さんと。白い制服が素敵ですね〜〜☆キラキラ

写真(3)中華寺院で入籍を済ませたばかりのカップルと(ハート)幸せいっぱいのお二人から、石崎さんも私も幸せ気分をいただきました☆

写真(4)イスラム女性の衣装−私が着るとド○えもんみたい!?

写真(5)明るく現地のと〜〜〜っても優しいガイドさんです。陳(タン)さんと、呉(ゴウ)さんです。左がタンさん、右がゴウさん。

写真(6)朝市で出会った、現地の赤ちゃん

写真(7)活気あふれる市場と「コーヒー紅茶MIXドリンク」

写真(8)コラコラ 神聖な場所でそんなポーズは。

写真(9)「もっと変な顔して〜」と石崎さんから、有難〜いご指導でした。最後には、石崎さんもビックリの変顔写真が撮れました☆

写真(10)ピンクのモスク。色も柄も綺麗ですね〜!!



などなど、マレーシアでは、素敵な体験を沢山しました!放送を楽しみにしてください☆

私がアナウンサーになりたかった理由の一つに、たくさんの方と出会いたい、というものがありました。それを今回の取材で沢山経験できて、喜びをかみしめています。

ユメイロ。スペシャルの放送は、9月8日(土)12:09からです。
未熟者な私ですが、精一杯やりました。私にとっては記念すべき初リポート、お時間がある方は、ゼヒゼヒご覧ください☆

▼2007年9月8日(土)「熱い!暑い!!世界陸上大阪!!!」(佐々木 佑花)
長居競技場でバンザイ
中継車の前で
アナウンサー大集合
グリコも世陸
たすきキャラバン7月の北海道中継
3人でジャンプ
メイクの浦柳さんと佐々木さんと
ボブスタイルにしてもらいました
キャスターの田村さんと
 『世界陸上大阪!!』
わたし、世陸応援特番出演のため、大阪に行ってきました〜。大阪の街はもちろん、道頓堀のグリコも食い倒れ人形もかに道楽も世陸モード♪
大阪は、とにかく熱い!というか暑い(^^;)気温も湿度も高く、黙って立っているだけで汗が出てきます。タオルが手放せませんでした。
そんな中、世界67億の1位を決める戦いをこの目で見てきました!
スタート前の緊張感、緊迫感、選手たちの集中した表情など、近くで見られて感激です。マラソンゴールの瞬間、勝利のガッツポーズなど、胸が熱くなって何度も涙してしまいました。目の前で世界一を見るこの感動☆人間の力って本当にすごいなと思いました。女子マラソン銅メダルの土佐礼子さん、惜しくもメダルに届かなかった日本人選手、超人の力を見せてくれた海外の選手たち、暑さの中、本当にお疲れさまでした。

振り返ってみると・・・『世陸応援たすきキャラバン』と題して全国の女子アナが集まったのは、世陸が始まる1ヶ月以上も前のこと。TBSアナウンサー井上くん&杉山くんが全国を巡り、応援メッセージを集めたこの企画、北海道の中継は、7月でした。それから1ヶ月半が経った8月24日、再び女子アナ集結!この企画を通して、28局それぞれのアナウンサーとすっかり仲良くなっちゃいました♪

さて、大阪から戻り8月29〜31日は、“Hana*テレビ”のニュース枠を担当しました!
「佑花ちゃん、髪切ったの?髪型変えた??」と色々聞かれましたが、これはメイクさんにボブスタイルにしてもらったのです。普段はロングにしています。
この3日間、ヘア&メイクを担当してくれた浦柳さんと、スタイリストの佐々木さん&きくちゃん♪キャスターの田村さん、スタッフの方々、沢山の人に支えられ、無事に放送は終了しました。ありがとうございました!

▼2007年9月9日(日)「うどんと風邪の関係」(河原 多恵子)
風邪にはこの生姜飴  来るなと思ったら、やっぱり来ました・・・、ナニが?
「夏風邪」をひいてしまいました!医務室発の注意喚起メールも読んだのに、自己管理がまったく出来ていなくて情けない。頑丈そうに見えても、本当は“か弱かった”んだ〜〜〜?(冗談です!)

  さて、風邪のときの必需品がコレ!
創業明治九年“うどんや風一夜薬本舗(カゼイチヤクスリホンポ)”の生姜飴です。口にほうり込むと身体はポカポカ、ノドのいがらっぽさが楽になり、生姜の辛さと旨みが風邪を体内から放り出してくれるのです。マイルドな“中辛”、辛いのが苦手な人なら飛び上がるであろう、大辛の“辛味絶佳”。私はもちろん、後者を選びます。
でもどうして、風邪と「うどんや」?昔、風邪をひくと熱々のうどんを食べた〜うどん屋では風邪薬を売っていた〜飲んでぐっすり眠って治す、だから「うどんや」のネーミングなんだそうです。うどんと風邪、このことは、壺井栄の名作「二十四の瞳」にも登場していましたよ。今回は徳用袋をそばに置いて、復活に向け、頑張ります!

※R「多恵子の今夜もふたり言(月〜金 23:30〜24:00)」ゲスト情報
9/10(月)〜9/13(木)は歌手・クミコさんです。
映画「エディット・ピアフ〜愛の讃歌」公開にあわせて、ミニアルバムをリリース。
50歳を過ぎて初めて歌う、ピアフの名曲。よせる思いなど聞きます。お楽しみに。

>>バックナンバー目次へ戻る

日記トップへ アナウンサー&パーソナリティトップへ HBCホームページトップへ