
| No.215:2006年 12月4日〜12月10日 |
| ▼2006年12月4日「旅の終わりはいつも雨降り、 ではなく出会いの不連続線だ!!PART2(根室編)」(内藤 克) |
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11月25日放送の取っておき北海道のグルメおとり寄せ番組「坂東英二の欲バリまるごと北海道パート2」は、お楽しみいただけましたでしょうか??何っ、見ていないとな!!なんと残念なことでしょうか内藤の素晴らしいリポートだったのに・・・と言うことにしておきましょう。何年やっても反省点が多々あるのが仕事でございます、と上司向きの一言を添えて来年のパート3もよろしくお願いしま〜す。 前回が、函館編とするならば久しぶりの出張を何度でも使いまわして効率よく回収するのが内藤の真骨頂(手抜きとか、水増しとの表現は聞き入れません、即却下です。)後編を根室編として今ここにお届けしましょう、やっぱ疲れるけど机にへばりついているよりは楽しいでんがな!? そして函館から帰った翌日(函館での出来事は内藤のアナ日記バックナンバ ーで確認してください。)今度はまたも朝一の丘珠空港から中標津(空港としては根室中標津)へ飛び根室に入ることになったのです。丘珠空港は、道内へのアクセスとして重要なポイントですが、自衛隊との共用空港でもあるのです。内藤が行った朝も、訓練飛行に飛ぶたつのか戦闘ヘリのコブラ(正確には対戦車ヘリ)が編隊を作って丘珠から飛び立って行くのを「すごい!?」(これはどっちだ??単純にプラモ好き少年の名残として格好がいいからなのか?それとも写真とかでは見ることの出来ない兵器としての凄み・・・つまり殺傷力のある道具が目の前で稼動していることへの恐れなのかは意外と判然としないものの、突然の非日常が眼前に広がるのはドギマギするものだ。)の一言であった。ちなみに対戦車ヘリ「コブラ」の原型はベトナム戦争当時のヘリコプターでコブラの実戦配備は1967年である。いくら初期配備とはいえ39年前のタイプである、今は次の対戦ヘリ「アパッチ」が導入されつつある。思いついたのだが、どうせなら鯨の捕獲に使ってみるのはどうだろう?母船から発着して鯨を追尾、銛を撃ってブイなどを投下鯨を回収する・・・やたら単価の高い鯨のベーコンの出来上がりだぁ!! さあ、早く根室に行こうと飛行機に向かって丘珠空港の中を歩いていたら、足元に奇妙なマークを発見。なんとどうみても「熊の足跡」ではないだろうか??内藤の住む西野では、熊が頻繁に出没したがまさか丘珠空港から出る飛行機に熊が乗っているとは思わなんだ??まぁ、熊が自らの足をペンキに浸してつける訳などないのは自明の理なのでわかるとは思いますが、乗客が搭乗する際の誘導路のマークが「熊の足跡」です。発見したときにはニヤッとしましたね、こういう茶目っ気が人の気持ちをほっとさせるのですよ。 丘珠からプロペラ機で約1時間、中標津に着くと、そこからは根室までの連絡バスが待っていました。往復切符にするとお得です(もちろん内藤も買いました。) いざ、根室に出発!!しかし乗っているのは4人ほど、根室までの1時間30分、根釧原野を突っ走るのんびりとしたバスの旅となったのです。確かに広い!!人とも牛とも車ともすれちがわねえよぉ・・・ちょっと言い過ぎか?久々に広い北海道を実感するのでした。こっちのほうはあまりこないからなぁと、マジマジと外を眺めながら根室へと着いたのです。 この日は根室入りだけでスタッフ待ちだったので日没まで根室の町をブラブラ歩きをすることにしました。まずは日本最東端の駅に出かけてみるっぺかと駅にいくと、隣のバスターミナル(インフォメーションセンターも併設だと思う。)ですごいバスを発見!!なんと「納沙布岬ゆき(太平洋まわり)」である。さすがスケールのでかい北海道でもこんなにすごいものは滅多に出くわさないはずだ!!太平洋を回っていくのだ!!でっけぇ、すげぇと一人感心していたら、待てよ「太平洋まわり」だけなの?なぜ。バスじゃ太平洋は回れないじゃん、水陸両用車にはとても見えないし・・・とお馬鹿な考えをめぐらすくらいなら聞いてしまえと運転手さんに、何でこの大げさな名前なのと問いかけると、「前はオホーツク海まわりもあったんだよ。」の返事で、内藤はキョトンとしてしまい、ますますそのスケールの大きさにガルガンチュワとパンタグリュエル並のほら吹きがいるもんだとほとほと感心してしまったのです。まぁ、ぶっちゃけた話、納沙布岬に行くバス路線が昔はふたつあって、その一方(オホーツク海まわり)の利用が少なく統合され、「納沙布岬ゆき(太平洋まわり)」だけが残ったとのこと。あーぁ、びっくらした、よく考えたら納沙布岬に向かう片方の海岸は太平洋で、もう片方はオホーツク海なんです。そうかと改めて思うでしょ。 根室といえば、やっぱ花咲蟹でしょう、根室駅の前には蟹売りの店が並んでいましたが「昔に比べると、さっぱり売れないねぇ」というおばちゃんの言葉通り買いにくる人の姿もまばらで、時間的にもう夕方でもありガラスケースに入った花咲蟹が「買ってくれないカニー」と哀愁を漂わせておりました。美味そうだったけどね出張旅費との兼ね合いでなかなか手がでないのよねぇ??かつては特攻船とよばれた大きな船外機を2基つけた密漁船が横行した時代もあったけれど今やそんな姿は見られずとも蟹は入ってくるのでしょうか深い紫色の花咲蟹が入荷していてこいつらもいずれは誰かの口の中へと納まるのかと余計な心配をしながら傍らを街の方向つまり浜の方へと坂を下りていくのでした。 根室といえば、やっぱ漁師町ですから古い蔵もあるわけで浜に下りる途中に、姿形も美しい蔵に出会い出てきた人に何に使っていた蔵なんですかとたずねたらよくわからないとの由、まぁそうかも知れないと妙な納得をしながらチョイさらに下りたならば、その蔵はな〜んと根室といえばの代表格「北の勝」の蔵元だったのです。さすが、内藤はのんべぇの血を引くだけはある黙っていても酒にはピンとアンテナが張り巡らされてるのだ!!つまり、坂を下りていく途中は二股になっていて絶対に左側だという確信が内藤にはあったのだ、自分でも運命的だとしか言いようの無い瞬間であった。早速、向かいの事務所に入り「すいませ〜ん、蔵元限定の酒はないのでしょうか?」とお伺いしたのだが、それは無いとの返事であった。ぜひこれからは超限定の酒を置いていただきたい泣く酒飲みが笑ってしまうという程の「北の勝」であるのだから。でもネーミングとしては内藤にピッタリである、なにせ内藤は「北のカツ」である。意図せずに見つけたことがやけに嬉しいかぎりであった。ちなみに道路からの眺めは伝統的な蔵の形であったが裏に回ると近代的な設備も整えており、日々進歩を遂げなければ生き残れないのだと改めて感じた次第です。もちろんお土産にも購入したのは当たり前の話でありますが・・・。 ここで閑話休題、肉屋さんの店頭に変わった張り紙がありそれには「流氷ステーキ」の文字が。念のために言わなくても「流氷素敵」ではない!!隣でしゃがんでいたおばさんに「流氷ステーキ」を食したことがあるか聞いてみると「それは知らんわ」とにべも無い返事が返ってきた。流氷のように分厚いから?はたまた流氷のように一面に薄く延ばしたものなのか?あるいは、流氷のようにナイフをいれると「キィーッ、ギョワッ」などと泣くのであろうか?まさか流氷のくる季節にしか手に入らない肉のステーキなのだろうか?とするとアザラシ、一角(アラスカじゃないよな)、鹿じゃ最近当たり前だしなぁ。流氷は押し寄せてくるよなぁ、わかった!!これは、いろいろな肉を集めて作ったサイコロステーキのことだ!などと頼まれもしない妄想をめぐらせてはほくそえんでいたのであった。「流氷ステーキ」の本当のいわれは聞かずじまいであった。根室に出かけた際にはそれぞれが確かめていただければ幸いである。中途半端な話題を提供した内藤にも本当の所をガツンと教えて頂戴ね、けちけちしないで。 話は戻って、根室といえば日本で一番最初に日が昇るところでもある。駅前や観光パンフレットにもあるいは街のあらゆるところでその話題は提供されている訳だが、一番早く日が昇るということは物理的に、「日本で一番早く日の沈むところ」でもあるはずなのだ。どうだ!非の打ちどころのない論理展開だろう、まいったかとでもいいたくなるような綺麗な夕日が目の前に広がっているではないか。まぁ、この夕日を見ることが出来ただけでもよしとすべきなくらいに、寂寥感のある日の入りであった。人間生きてさえいれば、時には美しいものに出会うのだと実感する一瞬でもあった。ここらへんで打ち止めにしておくか・・・ってオイオイまだブラブラ歩きで見つけたふんわか酒種あんぱんのことやちゃんと絵になるオオワシの折り紙取材先のたえちゃん自慢のシメさんま(うまかったよ、本当に)のことも、たえちゃんお勧めの「薔薇」のエスカロップの話も、飛行機から見た札幌の夜景に一際光る花火のような光の輪のこともまだじゃん、まだ根室で話としては札幌へ向かってないよー・・・それが内藤らしいか、今年最後のアナ日記となりますので気が早いですが良いお年をお迎えください、そして来年2007年も長々とした内藤のアナ日記が存在することを願っていてくださいな。 |
| ▼2006年12月5日「タイ旅行記」(川畑 恒一) | |
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先月、休みを利用してタイに行ってきました。今回のテーマは「リゾートでのんびり」。タイでリゾートと言えばプーケットかサムイ島が人気ですが、なんとなくパタヤーで過ごしてみました。 バンコクから車で2時間ほどのパタヤーは、ベトナム戦争中、米軍兵士の保養地とて開発されたところ。その歴史的背景から歓楽街が発達していて、街は欧米人を中心に大賑わいでしたが、一歩ホテルの敷地に入ると別世界の静けさ。しばし中庭のプールでリラックスして、ファイターズ中継にささげた夏(?)を取り戻しました。 タイのお約束で象に乗ったりもしましたが、パタヤーで面白かったのはタワージャンプ。170mの高さのホテルの屋上から、鉄棒にぶら下がって地上まで降りてくるのです。もちろん命綱はあるのですが、なかなかのスリルでしたね。 最後の一泊はバンコク。興味のあったムエタイ(タイ式キックボクシング)も観戦してきました。格闘技としての迫力はもちろん、それ以上に凄みがあったのは観衆です。試合終盤の応援のボルテージは札幌ドームのレフトスタンド並み・・・というよりは競馬場に近い雰囲気かな?ほぼ全員がどちらが勝つかに賭けていて、一攫千金を夢見る男たちの野太い声援がこだましていました(汗) タイといえば、数ヶ月前にクーデターが起きたばかりですが、バンコクを歩いていてもその影響はほとんど感じられず、人々はエネルギッシュに活動していました。これで毎年恒例、ちょっと遅い11月の夏休みの行き先は3年連続で東南アジアとなりましたが(04年12/11、05年12/8絵日記参照)、来年はどこに行こうかなぁ・・・ |
| ▼2006年12月6日「ドイツ旅行記」(堀 啓知) | |
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先月末にまとまった休暇を利用してドイツに行ってきました。 目的は観光&サッカー観戦です(後者のほうがメインですが)。 今回訪れた街はベルリン〜ヴォルフスブルク〜ブレーメン〜デュッセルドルフ〜ボン〜ケルン〜ゲルゼンキルヒェンといった街です。 比較的英語が通じたので困るということがありませんでした。 ホテルのカウンターや駅員はもちろん、街や列車で出会った人と話しても英語でコミュニケーションがとれました。 観光で印象に残ったのは・・・ ○ベルリンの壁の跡。冷戦の象徴は現在も道路に跡が刻まれていました。東西分裂時代、ブランデンブルク門は壁によってくぐることができなかったのですが、今では誰もが通ることができます。 ○ケルンの大聖堂。高さ157m、600年以上かけて完成したゴシック建築のカトリック教会。ステンドグラスの美しさに見とれていました。さすが世界遺産。 ○ボンのベートーベンの家。22歳まで住んでいたという生家で、実際にベートーベンが使用していたピアノや楽器、直筆の楽譜などが展示してありました。クラシックファンではありませんが、じっくり見入ってしまいました。帰国後ベートーベンのCDを購入しちゃいました。 訪れたどの街もクリスマスムード一色で、かわいらしい装飾が施されていました。 そしてサッカー観戦・・・ ブレーメンでヨーロッパのチャンピョンを決める欧州チャンピョンズリーグのグループリーグ、「ブレーメン対チェルシー(イングランド)」を観戦。 4万3千人収容のスタジアムが満席。周囲の中年男性たちが子供のようにはしゃいでいたのが印象的でした。結果は1対0でブレーメンの勝利。試合後、「デイドリームビリーバー」をサポーターが熱唱していました。それにして気温が5度を下回っていたので寒かったです。 2試合目は、ゲルゼンキルヒェンで地元シャルケ対ボーフムのブンデスリーガを観戦。こちらのスタジアムは、屋根は開閉式でピッチも札幌ドームと同じ屋外に出せる可動式という近代的なものでした。この時は屋根が閉まっていたので快適に観戦できました。 6万1千人収容のスタジアムは、立錐の余地もないほどびっしり詰まっていました。 ゴール裏のファンがジャンプをして応援するたびにスタジアムが揺れました。ちなみにシャルケサポーターはリーグで1、2を争うほどのクラブに対する忠誠心持った熱心なファンです。2部に降格したときも1部のほとんどのチームより観客動員数が上回っていたそうです。この日は2対1でシャルケが勝利。帰りの路面電車の中でも応援歌を熱唱していました。路面電車の窓や壁をたたきながら喜びを爆発させていたのはちょっと恐かったです。 それにしても、今回の旅で感じたことはやっぱり自分は童顔なのだということ。 博物館でチケットを購入する際「スチューデント?」と聞かれ、列車で知り合った中年女性に「18歳」と思われ、スタジアム行きの路面電車内で酔っ払った夫婦に「28歳」とい言ったら、「うそをつくな」と笑われました。 「どうせ髭剃り持ってませんから・・・」とホテルの鏡に向かって呟きました。 |
| ▼2006年12月7日(木)「タイへライセンス取得」(渕上 紘行) | |
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川畑さんがタイに行っていた同じ頃(5日の絵日記)、渕上も休みをもらいタイに行ってきました。最大の目的は、大学時代から「いつかは!」と思っていた『スキューバーのライセンス取得』。場所は、ちょうど2年前スマトラ沖地震の津波で大きな被害を受けたプーケット島。少し心配でしたが、町並みもすっかり元に戻っていたようで、活気に満ち溢れていました。 それにしても、ライセンス取得には勉強することいっぱいあるんですね〜。確かに一歩間違えば命に関わるものですから当然といえば当然でしょうか。ちなみに教科書はこの分厚さ!!(この中の要点を教わっていく形ですが・・)すでにライセンスを持っている方はお分かりでしょうが、いろんな用語や手順を覚えるのはもちろん、ダイビング特有の体の異変を防ぐため「何メートルに何分潜ると次のダイビングまでに何分休憩しなければいけない」など計算しなければいけないんです。正直「潜って浮くだけ」という単純な発想しかなかっただけに面食らいましたが、受験生気分で必死に勉強しました! そのかいもあり、丸3日間の講習で晴れて初心者ダイバーに!!このライセンスでは、まだ18メートルまでしか潜れないんですが、これからいろんな海に挑戦していきますよ。まずは一番近い積丹かな! |
| ▼2006年12月8日「新人研修&ユメイロ。オーストラリア取材」(佐々木 佑花) | |
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12月になりましたねー。本格的に雪が降ってきて、うぅ〜寒いさむい〜。 11月9・10日の二日間、秋田で行われた新人研修に参加してきました。 東北地方は紅葉シーズンを迎え、山の木々が色づいていました。飛行機の窓からの眺めは絶景☆ 空から見る紅葉はとっても綺麗でした。 今回の研修に参加したのは、北海道・東北地方の新人アナウンサー10人です。 講師は、TBSの上野順アナウンサー、ABS上野泰夫アナウンサー、元ABSアナウンサーの依元悟さんです。自分の読んだお天気やニュース、リポートしたものなどを持ち寄って、批評していただきました。また、メディアについてのお話を聞いたり、社会人としてのマナーを勉強したりしました。 他の局の番組やニュースを聞くことはなかなかないので、とても新鮮でした。同時に、同じ境遇の仲間の頑張りを見て、負けていられない、わたしも頑張ろうという気持ちになりました。 一緒に写真に写っているのは、テレビユー山形の安藤友江アナウンサーです!あたしと、ともえちゃんはなんと同じ大学で同じ学部だったんです。大学生時代、一緒に講義を聞いたり、ゼミの話をしたり、カラオケに行ったりもしました。さらに、同じアルバイトもしていました。まさか、同じアナウンサーという仕事をするなんて思いもしませんでした。今はお互いに山形と北海道という離れた場所で仕事をしていますが、こうやって再会できて嬉しかったです!! おまけ★一般の人はなかなか持つことのできない、竿燈体験もしてきました!! ユメイロ。の取材でオーストラリアに行ってきました!!日本と季節が逆なので、オーストラリアはこれからが夏♪ 初体験!コアラを抱っこしました!かわい〜い!!本当にかわいい♪ ん? く、くさい・・・(コアラってくさい・・って聞くけど・・・) しばらくして気が付きました。くさいのは、コアラではなくユーカリだ!と。 コアラをよーく見ると、爪は鋭く、実際に抱っこしてみると人間の赤ちゃんのよう、いや5sのお米を持たされた感じでした。でも、癒されました〜。 ☆コアラについての豆知識☆ コアラがユーカリの葉を食べて生活しているのは皆さんも知っていますよね。 実は、そのユーカリの葉には強い毒素が含まれているそうです。 コアラには腸から枝分かれしているチューブ状の器官(盲腸)があります。その長さは哺乳類では最も長い2m。この器官で毒素を分解し、消化吸収ができるようです。 またユーカリは栄養分が少なく、新陳代謝が悪いコアラは体力温存のためずっと(1日20時間)寝ているようです。 そして、コアラという名前はアボリジニの言葉で「水を飲まない」という意味だそうです。ユーカリの葉以外はほとんど食べず、水もほとんど飲まないことから、そう呼ばれたんですね! きれいな海、コアラやカンガルーなどのかわいい動物たち、オージービーフにワイン!!! 皆さんもぜひオーストラリアへ!! 詳しくはユメイロ。のHPにも載っていますので、どうぞご覧下さい♪ |
| ▼2006年12月9日「隙間の階段」(田村 英一) | |
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どこかのスタジオの扉を開けて覗き込んでいるようだが・・・ 扉の向こうには狭く急な鉄製の階段、その階段を上るとそこに窓が・・・ ここはHBCの4階と5階の間あたりか、その窓の向こうには狭い空間を挟んでコンクリートの壁・・・この窓は、社屋を増築したときに取り残されたようだ。 HBCの社屋の外観である。 やや幅のある壁を挟んで、向かって左側が昭和34年に建てられた部分、右側が後に増築されたものである。 あの窓はこの間にあるということになる。 ただあの扉がどこにあるか、知る人は少ない。 このHBC会館、中央区北1条西5丁目界隈では歴史のある建物である。 番組見学などで是非一度お越し下さい。 |
| ▼2006年12月10日「干支鈴」(松永 俊之) | |
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来年の干支はご存知「亥」。 その「亥」を型どった干支鈴(エトスズ)をつくって今年で36年目の中畑房子さん、ゆかりさん親子。 北海道神宮境内にある神宮窯から取り出した掌サイズの「亥」が工房に6000個あまり所狭しと並んでいます。 今、その素焼きの「亥」の目、口、耳、牙などに絵付けが施されていますが、あと20日余りに迫った新年を前にして猫の手も借りたい程の忙しさにおわれています。 『干支鈴で注意することは、土鈴がそれぞれの干支の中でよーく転がるようにまろやかにつくる事です』と中畑さん。 その中畑さん親子の1年は、干支鈴づくりに始まって干支鈴づくりに終わるといっても過言ではありません。 年の暮まで続く作業も終わったのも束の間、2月の節分が過ぎると次の年の干支の形を考えるそうです。 北海道神宮境内は、大都会の中にあって、自然豊かで四季の移ろいを楽しむ事ができます。 そんな自然の中でつくられる干支鈴は、皆さんが幸福になれますようにという中畑さん親子の祈りがこめられているといってもいいでしょう。 |
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