アナウンサー日記バックナンバー
No.179:2006年 3月27日〜4月2日

▼2006年3月27日「カンテレ」(阿部 彩子)
コンサートの様子
39弦コンサートカンテレ、見た目にも美しい
カンテレ奏者 佐藤美津子さんと

 「カンテレ」ってご存知ですか?

私が出会ったのは11月、澄んだ、心に響く音色に感激しました。

カンテレ、それはフィンランドの民族楽器で、仕組みは、木の胴に張った弦を指ではじいて奏でるものです。弦の種類がいくつかあって大きさも様々。少ないもので5弦、多くなると39弦など大型になります。

先日このカンテレと二胡のコンサートに行ってきました。フィンランドの楽器と二胡の組み合わせ???と思いながら出かけたのですが、とっても素敵でした!!!フィンランドの曲から日本の童謡まで、二胡との組み合わせもぴったり、透明感のある音、響きにとっても癒され、幸せなひと時を過ごすことができました。どこかで機会があれば是非聴いてみてください。

  私もあんな風にひいてみたい、と思いましたが、浮気せず、二胡で癒しの音色を奏でられるよう頑張ることにします。


▼2006年3月28日「春は名のみの雪かき総決算
・・・果たして人力はバーナーを超えられるのか?」(内藤 克)
裏の住宅地にはお世話になりました。私の汗と気持ちがたくさん置いてあります。
綺麗に除雪した庭。雪解けともに凍上が出てきました。
ママさんダンプ補修@ねじがはずれ新しいものを装着。
ママさんダンプ補修A溶接部は全て破損しています。よく持っているなぁ。
我が家のママさんダンプ2台の雄姿。来シーズンは持つかなぁ?

 春はゆきつ戻りつしながら、アレだけの雪を記憶のかなたに放り出そうとしているようだが、今シーズンのみ限定で努力した裏の雪捨て場に関して内藤家の除雪担当としては、ここいらで総決算をしておかなければならないだろう。灯油の使用量を節約、言ってみればケチったわけなのだが降る雪の量に対する灯油の使用量と人力の関係をグラフにとると、サムエルソンの経済学の冒頭に出てくるバターと大砲の相関図と一致するのは明白である。灯油の使用量を減らすためには人力での作業、つまり雪捨て場への往復回数が増えることになるわけである。この冬は、庭に積上げた雪を6回ほど裏に運んだわけであるからその分灯油を節約したはずだが、それはどれだけの経済効果を内藤家にもたらしてくれたかと言うと、灯油のリッターにして500リッターは無いのである。シーズンはじめの灯油の値段が約50円で、終盤が73円である。段階的にあがったことを無視したとして73円、それに500をかけて36,500円。回数にして6回金額と灯油の量を割ると1回の灯油の節約量は83.3リットル、労働単価は1回につき6,083.3円、1回の雪かきに2.5時間かかっているので時間単価は2,433.3円時間灯油消費量は、33.3リットル、果たしてこれが安いのか高いのか。北海道の最低賃金は昨年10月の段階で時間単価641円であり、約3.79倍。「じょんば返し」などの秘儀を駆使する内藤の雪かきにとっては高い値段ではない、齢50を迎える回復度を考えに入れると尚更である。

 では、この経験をもとに来シーズンもこの方向で節約を進められるかと言えばぶっちゃけた話、しんどいですわ、ホンマ。まぁ、物理的に裏に住宅が建つので持って行き場のない雪を融かすか積むかしかないのですが、雪の置き場と積み方にコペルニクス的大転換でもない限り、融雪機にお世話になるしかないようです。となれば、こつこつとお金をためていくしかないようですね。ちなみに36,500円を雪が降る前に貯めようと思えば4月から10月くらいまでと考えて7ヶ月で月にすると5,214円ほど、いったい我が家の、いや、私の何が今度は減らされるのだ?!とボヤキが始まるのであった。春の月は、まだ遠く蒼いのであった。
そういえば、あまりにも丁寧に庭を雪かきをしてしまったせいか、この1月から2月にかけての寒さが原因なのであろうか春の気配とともに地面が凍上しているいるのである。融雪機を使用しているときには無かったことなのだが??

 今回の雪かきで異常にお世話になったのが、いわゆる「ママさんダンプ」である。我が家に2台ある「ママさんダンプ」は、この冬の過重な負荷に耐えかねて壊れてしまっているのだ。ねじがはずれ補修したと思ったら、溶接部分が殆ど全て折れていたのである。骨組みに雪を載せる部分とのねじだけでとまっている状態なのだが、来シーズンには新しいものと入れ替えねばならなくなりそうだ。う〜んこれで更に約4,000円の出費に備えなければ!?でも、1台で済むのだろうか先のことは誰にも分からないが、確実に溶接部分は壊れているのであった。

この「ママさんダンプ」の出自など非常に面白いものであるのだが、今度真剣に調べてみたいものである、ちなみにインターネットで検索してみると中間卸業者ではなく製造業者でみると、「サンカ製」が「スノーダンプ、「金象印」は「スノーカート」、「ニラサワ製」は「ママさんダンプ」と商品を紹介するところを見つけたのですが、歴史的経緯については卸業者とのかかわりもあり「ママさんダンプ」は雪解けとともに霧のかなたへと遠ざかっていくのでありました。今度は商標登録からアプローチしてみるかなぁ?では、良い春を!!


▼2006年3月29日「三都物語」(川畑 恒一)
放送中の様子その1
放送中の様子その2

 いよいよ2006年のプロ野球シーズンが始まりましたね。

  先日、開幕に先立って、地元にパ・リーグのプロ野球球団を持つ、福岡、宮城、北海道の放送局を結んで「三都物語」という番組をラジオで放送しました。

  去年、楽天の誕生を機に生まれたこの番組、キーステーションは毎年持ち回りで、今年の舞台は福岡のRKB毎日放送。
  地元で「ホークスの勝利の女神!?」として名高いパーソナリティーの鬼橋美智子さんを総合司会に、TBC東北放送から大井健郎アナ、HBC北海道放送からは私・川畑恒一が参加して、侃侃諤諤、いかに自分たちの地元球団が強く、魅力的かのアピール合戦を繰り広げました。
 
  オブザーバーとして、あの「神様・仏様」鉄腕・稲尾和久さんにも加わってただき、厳しくも温かい各チームの戦力分析あり、さらにそれぞれの地元を結んでの中継もありで、あっという間の2時間でした。

  思えば私が子どもの頃のパ・リーグといえば、関東に日本ハム・ロッテ・西武、関西に阪急・南海・近鉄が集中し人気も今一つ・・・それが今では、北から南まで本拠地が分散し、それぞれ盛り上がっているのですから、素晴らしい時代になったものです。

  HBCラジオは今年、130試合以上のファイターズ戦中継を予定しています。この日記が掲載されるころ、私は千葉に乗り込んで対マリーンズ3連戦を伝えているはず。

今年も「ファイターズ聴くならHBC」で!


▼2006年3月30日
「涙のラストジャンプ(珍しくギャグ無しの絵日記)」(卓田 和広)
別れを惜しむ4100人のファン
ラストジャンプを飛び、ガッツポーズの宮平選手
ラストジャンプを終え、大倉山を見つめる原田選手
ラストジャンプを終えた宮平選手と
原田選手からのハガキ

 去る3月25日、大倉山で今季のジャンプ最終戦が行われた。この大会はあの原田雅彦選手の引退試合ということもあり、ナイターだというのに4,100人ものファンが詰め掛け別れを惜しんだ。

 原田選手のことは既に大きく報じられているので後ほどにして、もう一人、私にとって忘れることのできない選手が、競技生活に別れを告げた。遅咲きのジャンプ職人、宮平秀治選手だ。彼は、原田や葛西のように早くから将来を嘱望されていたわけではない。22歳でようやくW杯遠征メンバーに選ばれると、99年3月のスロベニア大会で初優勝、24歳でついに世界の頂点を極めた。「原田節」でマスコミを沸かせた原田選手とは正反対に、口下手で不器用。優勝インタビューでも面白い答えなど期待できない選手であった。

 そんな彼の優しい一面を見たのは、ソルトレーク五輪でインタビューした時であった。直前の合宿で首を痛めすっかり調子を崩してしまった宮平選手は、当日の現地練習でも、人目を避けるようにしていた。私も仕事なので一応呼びかけたが、その時ばかりは取材を拒否してTVカメラの前を通り過ぎて行った。ところが、私の次に待ち構えていたのは他局の取材で訪れていた荻原次晴さんである。同じノルディック出身の荻原さんに恥をかかせるわけにもいかず、さすがに宮平選手は立ち止まった。そこで彼は何と「じゃあ、もう一度やり直します」と言って、先に話しかけた私のところまで戻り、まず私の取材から受けたのだ。とても話をする気分では無かっただろうに「何て誠実で優しい男なんだ」と心を打たれた。

 そして、日本中を明るくしてくれた原田選手である。実は彼が引退を発表する数日前、知人に自らの想いを綴ったハガキを配っていた。私の自宅にも届いたのだが、そこにはトリノでの失格について「いつも応援してくださっている皆様に申し訳なく思っております」との一行があった。わざわざこのようなメッセージを皆に送るところが彼らしい。私のほうこそ彼の活躍に何度も勇気付けられたというのに。でも「5回の代表に選ばれたことは何より誇り」の一言に思わず私も深く肯いた。

 2人とも、ラストジャンプはK点超えとはいかなかったが、彼らの数々のジャンプは、間違いなく我々にバッケンレコードものの記憶を残してくれた。

 え?今回は笑いが無いって?まあ、笑いが無いのが帰って新鮮(サプライズ無きサプライズみたいな)ということで許して欲しい。


▼2006年3月31日「早春のイタリアツアー」(桜井 宏)
街並みを背に撮影
ゴンドラに乗る参加者の皆さん
ベニスの風景色々
↑画像をクリックすると、大きい写真が表示されます

 HBCラジオ「朝刊さくらい」の桜井宏です。
イタリアに行ってきました。「桜井宏と行く憧れのイタリア9日間の旅」の参加者の皆さんと早春のイタリアを巡ってきました。
ミラノ、ローマ、フィレンツェ、ベニス。ベニスではもちろんゴンドラです。7艘の船を連ねての舟遊び。2艘の船に歌手とギターやアコーディオンの伴奏者を乗せてのお大尽遊びでした。前日は雪のちらついたベニスでしたが、私たちが訪れた日は柔らかな春の陽が差す最高のゴンドラ日和でした。イタリヤ民謡を聴きながらの舟遊びは極楽気分。船上のシンガーも私たちの拍手喝采に気を良くしたのか、イタリヤ民謡とは縁もゆかりもない『ベサメ ムーチョ』やトム・ジョーンズの『デライラ』まで熱唱してくれました。

  ベニスを舞台にした50年前のアメリカ映画「旅情」では、キャサリーン・ヘプバーンが誤って運河に落ちるシーンがあったそうです。今なら彼女も躊躇するであろう水の色でしたが、そんな事はさらりと流してしまう程の楽しい「ベニスの休日」でした。


▼2006年4月1日「世界のプリマドンナ中丸三千繪さん」(萬崎 由美子)
3月26日(日)に行われた札幌山の上病院院内コンサートの様子
オペラ歌手中丸三千繪さんと、ピアニストで医師の上杉春雄さん
中丸三千繪さんのCD「アダージェット」
4月19日発売予定の上杉春雄さんのCD「トロイメライ」

 「中丸三千繪さんが、札幌山の上病院で歌ってくださるのは、野球にたとえると、イチローや松井選手が、いきなり円山球場に来てくださったようなものです。」

1990年イタリア国営放送主催「マリア・カラス国際コンクール」で優勝し、スカラ座など世界中のオペラの舞台に立つ中丸三千繪さんを、ピアニストの上杉春雄さんが、こんな風に紹介して、3月26日(日)午後2時から院内コンサートが始まりました。入院患者さんやご家族、病院スタッフ約30人が、「私を泣かせてください」」「月に寄せる歌」石川啄木作詞の「初恋」「アヴェマリア」など、美しいソプラノに聴き入りました。
札幌山の上病院に勤務する神経内科医でピアニストの上杉春雄さんは、5年前から院内コンサートを開いていらっしゃいます。 中丸三千繪さんは、1998年から日本各地で小児癌の子供たちのためを支援するチャリティーコンサートを行っていらっしゃいます。 昨年8月にキタラで開催された「六本木男声合唱団」と「ススキーノ合唱団」のジョイントコンサートを聴きにいらしていた中丸さんが、上杉さんの申し出に即座に引き受けて下さって、実現したものです。

「ホールの大きさも音響も関係ありません。聴いてくださる方がいらっしゃれば、スカラ座でも病院でもどこでも、同じ気持ちで歌います」とおっしゃる中丸さんの澄んだ声は、一人の声なのに、まるで声のオーケストラを聴いているような幅があって、中丸さんがコンサート会場ごと来てくださったような素晴らしいコンサートでした。 辰巳琢郎さん(六本木合唱団のメンバー)が中丸三千繪さんのCD『アダージェット』に、「中丸三千繪さんの歌は、何の予備知識がなくとも、聞く人の心をすぐに占領してしまう魔力がある。」とお書きになっていましたが、コンサートの後の患者さんの中には「身震いするほど感動しました」と涙を浮かべながらおっしゃる方や、幸せそうな表情の方もいらっしゃって、本当に、歌の魔力というものを感じました。

前日ニューヨークから到着、そして翌日には東京でのコンサートのために札幌を発つというハードスケジュールにもかかわらず、まるで疲れを見せない中丸さんに驚きました。 強靭な体力の秘密を伺うと、1998年頃から、専門のスポーツトレーナーに付いて、セントラルパークを走ることから始めたそうです。最初はちょっと走ってもへとへとだったのが、走るのが日課になり、今では1時間位走っても泳いでも、まるで疲れないそうです。 均整の取れた、引き締まった美しい身体と、素晴らしい声は、スポーツ選手並みのトレーニングの賜物だったのですね。身体が楽器とも言えるオペラ歌手が常にベストの状態で歌うためには、私たちの想像を超える、肉体改造とも言えるトレーニングがあったのです。

今年最初のアナウンサー日記に、2006年のテーマは、健康な身体作り、「疲れないカラダ」宣言!と書いた萬崎でしたが、脱帽です。 4月1日、新年度を迎えました。新たな気持ちで、さらにカラダを鍛えて頑張ります!

4月8日(土)から毎週土曜日朝5時45分から放送の『医学随想』を担当することになりました。8日と15日は、ピアニストで医師の上杉春雄先生に、音楽と医学についてお話を伺う予定です。上杉先生は、4月19日(水)に札幌キタラで池辺池部晋一郎さんとのジョイントコンサートを予定されていて、同じ日に、新しいCD「トロイメライ」が発売されるそうです。

>これまでの萬崎の日記


▼2006年4月2日「28年も大丈夫」(田村 英一)
鏡の前で背広姿
正面と横向き姿

 私が着ている背広は28年前のもの、腹の周り、胸のあたりがややきついものの ズボンもちゃんと入る・・
卓田何某という入社17年目のアナウンサーの腹とは大違いなのだ!!

ところで背広・・どこか変な名前だなと思っている。 語源は諸説あるようで、百科事典には市民服(シビル・クロスズ)が訛ってセビロになったとか、ロンドンの仕立屋街「サヴィル・ロウ」が訛ったとか、色々出ている。

入社5年目、清水の舞台から飛び降りるつもりで仕立てたこの背広、股下を測っているとき仕立屋さんから「右ですか、左ですか・・」と聞かれて、理解するまでやや時間が掛かったっけ・・・男性諸氏ならお分かり頂けると思いますが・・


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