
| No.179:2006年 3月27日〜4月2日 |
| ▼2006年3月27日「カンテレ」(阿部 彩子) | |
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「カンテレ」ってご存知ですか? |
| ▼2006年3月28日「春は名のみの雪かき総決算 ・・・果たして人力はバーナーを超えられるのか?」(内藤 克) |
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春はゆきつ戻りつしながら、アレだけの雪を記憶のかなたに放り出そうとしているようだが、今シーズンのみ限定で努力した裏の雪捨て場に関して内藤家の除雪担当としては、ここいらで総決算をしておかなければならないだろう。灯油の使用量を節約、言ってみればケチったわけなのだが降る雪の量に対する灯油の使用量と人力の関係をグラフにとると、サムエルソンの経済学の冒頭に出てくるバターと大砲の相関図と一致するのは明白である。灯油の使用量を減らすためには人力での作業、つまり雪捨て場への往復回数が増えることになるわけである。この冬は、庭に積上げた雪を6回ほど裏に運んだわけであるからその分灯油を節約したはずだが、それはどれだけの経済効果を内藤家にもたらしてくれたかと言うと、灯油のリッターにして500リッターは無いのである。シーズンはじめの灯油の値段が約50円で、終盤が73円である。段階的にあがったことを無視したとして73円、それに500をかけて36,500円。回数にして6回金額と灯油の量を割ると1回の灯油の節約量は83.3リットル、労働単価は1回につき6,083.3円、1回の雪かきに2.5時間かかっているので時間単価は2,433.3円時間灯油消費量は、33.3リットル、果たしてこれが安いのか高いのか。北海道の最低賃金は昨年10月の段階で時間単価641円であり、約3.79倍。「じょんば返し」などの秘儀を駆使する内藤の雪かきにとっては高い値段ではない、齢50を迎える回復度を考えに入れると尚更である。 では、この経験をもとに来シーズンもこの方向で節約を進められるかと言えばぶっちゃけた話、しんどいですわ、ホンマ。まぁ、物理的に裏に住宅が建つので持って行き場のない雪を融かすか積むかしかないのですが、雪の置き場と積み方にコペルニクス的大転換でもない限り、融雪機にお世話になるしかないようです。となれば、こつこつとお金をためていくしかないようですね。ちなみに36,500円を雪が降る前に貯めようと思えば4月から10月くらいまでと考えて7ヶ月で月にすると5,214円ほど、いったい我が家の、いや、私の何が今度は減らされるのだ?!とボヤキが始まるのであった。春の月は、まだ遠く蒼いのであった。 今回の雪かきで異常にお世話になったのが、いわゆる「ママさんダンプ」である。我が家に2台ある「ママさんダンプ」は、この冬の過重な負荷に耐えかねて壊れてしまっているのだ。ねじがはずれ補修したと思ったら、溶接部分が殆ど全て折れていたのである。骨組みに雪を載せる部分とのねじだけでとまっている状態なのだが、来シーズンには新しいものと入れ替えねばならなくなりそうだ。う〜んこれで更に約4,000円の出費に備えなければ!?でも、1台で済むのだろうか先のことは誰にも分からないが、確実に溶接部分は壊れているのであった。 この「ママさんダンプ」の出自など非常に面白いものであるのだが、今度真剣に調べてみたいものである、ちなみにインターネットで検索してみると中間卸業者ではなく製造業者でみると、「サンカ製」が「スノーダンプ、「金象印」は「スノーカート」、「ニラサワ製」は「ママさんダンプ」と商品を紹介するところを見つけたのですが、歴史的経緯については卸業者とのかかわりもあり「ママさんダンプ」は雪解けとともに霧のかなたへと遠ざかっていくのでありました。今度は商標登録からアプローチしてみるかなぁ?では、良い春を!! |
| ▼2006年3月29日「三都物語」(川畑 恒一) | |
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いよいよ2006年のプロ野球シーズンが始まりましたね。 |
| ▼2006年3月30日 「涙のラストジャンプ(珍しくギャグ無しの絵日記)」(卓田 和広) |
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去る3月25日、大倉山で今季のジャンプ最終戦が行われた。この大会はあの原田雅彦選手の引退試合ということもあり、ナイターだというのに4,100人ものファンが詰め掛け別れを惜しんだ。 原田選手のことは既に大きく報じられているので後ほどにして、もう一人、私にとって忘れることのできない選手が、競技生活に別れを告げた。遅咲きのジャンプ職人、宮平秀治選手だ。彼は、原田や葛西のように早くから将来を嘱望されていたわけではない。22歳でようやくW杯遠征メンバーに選ばれると、99年3月のスロベニア大会で初優勝、24歳でついに世界の頂点を極めた。「原田節」でマスコミを沸かせた原田選手とは正反対に、口下手で不器用。優勝インタビューでも面白い答えなど期待できない選手であった。 そんな彼の優しい一面を見たのは、ソルトレーク五輪でインタビューした時であった。直前の合宿で首を痛めすっかり調子を崩してしまった宮平選手は、当日の現地練習でも、人目を避けるようにしていた。私も仕事なので一応呼びかけたが、その時ばかりは取材を拒否してTVカメラの前を通り過ぎて行った。ところが、私の次に待ち構えていたのは他局の取材で訪れていた荻原次晴さんである。同じノルディック出身の荻原さんに恥をかかせるわけにもいかず、さすがに宮平選手は立ち止まった。そこで彼は何と「じゃあ、もう一度やり直します」と言って、先に話しかけた私のところまで戻り、まず私の取材から受けたのだ。とても話をする気分では無かっただろうに「何て誠実で優しい男なんだ」と心を打たれた。 そして、日本中を明るくしてくれた原田選手である。実は彼が引退を発表する数日前、知人に自らの想いを綴ったハガキを配っていた。私の自宅にも届いたのだが、そこにはトリノでの失格について「いつも応援してくださっている皆様に申し訳なく思っております」との一行があった。わざわざこのようなメッセージを皆に送るところが彼らしい。私のほうこそ彼の活躍に何度も勇気付けられたというのに。でも「5回の代表に選ばれたことは何より誇り」の一言に思わず私も深く肯いた。 2人とも、ラストジャンプはK点超えとはいかなかったが、彼らの数々のジャンプは、間違いなく我々にバッケンレコードものの記憶を残してくれた。 え?今回は笑いが無いって?まあ、笑いが無いのが帰って新鮮(サプライズ無きサプライズみたいな)ということで許して欲しい。 |
| ▼2006年3月31日「早春のイタリアツアー」(桜井 宏) | |
![]() ![]() ![]() ↑画像をクリックすると、大きい写真が表示されます |
HBCラジオ「朝刊さくらい」の桜井宏です。 |
| ▼2006年4月1日「世界のプリマドンナ中丸三千繪さん」(萬崎 由美子) | |
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「中丸三千繪さんが、札幌山の上病院で歌ってくださるのは、野球にたとえると、イチローや松井選手が、いきなり円山球場に来てくださったようなものです。」 |
| ▼2006年4月2日「28年も大丈夫」(田村 英一) | |
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私が着ている背広は28年前のもの、腹の周り、胸のあたりがややきついものの ズボンもちゃんと入る・・ |
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